「朔風」の成立時期に関する諸説

「朔風」詩の成立時期については、その解題に並記したように諸説あります。
ここで、個々の説の具体的な内容を示せば次のとおりです。

趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.175は、
本詩を建安22年(217)以降の作と推定しています。
建安21年(216)から翌年の曹操の東征に曹植は従軍していない、
(『三国志(魏志)』巻5・后妃伝(甄皇后)裴松之注に引く『魏略』)
それが本詩にいう「思彼蛮方」の意味するところだとし、
また、この時、曹植はまだ鄴にいなかった(『文選』巻56「王仲宣誄」)、
だから詩中、魏の都を懐かしむと詠じているのだとしています。

黄初4年(223)とする元・劉履『風雅翼』の説は昨日紹介しました。

同じ説を取る徐公持『曹植年譜考証』(社会科学文献出版社、2016年)p.321は、
詩中にいう「昔我同袍、今永乖別」は、洛陽での兄曹彰の死去をいうと捉え、
本詩と「贈白馬王彪」詩との類似性から黄初4年説を取っています。

黄初6年(225)と推定する黄節『曹子建詩註』(中華書局、1976年重印)p.46ー49は、
詩中にいう「昔我初遷、朱華未希」は、初めて雍丘王となった黄初4年7月以降、
「今我旋止、素雪云飛」は、3年後の黄初6年正月のことだとしています。
また、文帝曹丕が黄初6年3月・8月、呉に出征していることを挙げ、
この東征への意欲を詠じている可能性もあるとしています。

諸家がみな参照している清の朱緒曾『曹集考異』(金陵叢書)は、
太和2年(228)、曹植が浚儀から再び雍丘に転封した時の作だと推定しています。
詩中にいう「昔我同袍、今永乖別」は、兄文帝曹丕の崩御を指すとし、
また「游非我隣」は、「求通親親表」(『文選』巻37)の辞句に等しいと捉えています。

古直『曹子建詩箋』(広文書局、1976年三版)巻2/18b、
余冠英『三曹詩選』(人民文学出版社、1956年)p.94、
曹海東『新訳曹子建集』(三民書局、2003年)p.163ー165、
張可礼『三曹年譜』(斉魯書社、1983年)p.218もこれに従っています。

『文選』巻29「朔風詩」の五臣注(李周翰)にいう、
「時に東阿王、藩に在りて、北風に感じて帰らんことを思い、故に此の詩有り」は、
曹植が東阿王となった太和3年以降の作と推定していることになりますが、
特に成立年代に的を絞った考究ではないように看取されます。

こうしてみてくると、先人の説と一口にいってもその論法は様々で、
すべてが確かな根拠に基づいているわけでもないようです。

2026年2月17日