再読で落穂ひろい
昨年末から、曹植作品訳注稿の見直し作業を行っていますが、
再読していると取りこぼしや間違いによく遭遇します。
本日、「上責躬応詔詩表」(04-19-0)の見直しをしていて、
次の部分に目が留まりました。
誠以天網不可重罹 誠に以(おも)へらく天網は重ねて罹る可からず、
聖恩難可再恃 聖恩は再びは恃む可きこと難しと。
ここで「重」「再」という語が用いられていることについて、
語釈で説明をした方がよいと思ったのです。
ただ、そこではたと困ったのは、
この文章が奉られた黄初四年(223)までの間で、
曹植はすでに二回、役人から罪状を挙げられているからです。
一度目は、臨淄侯であった黄初二年(221)、監国謁者潅均によって、
二度目は、鄄城侯であった同三年、東郡太守王機らによってです。
これを踏まえるならば、「重ねて」「再び」ではなく、
“三度目”と書くべきではないでしょうか。
そこで上文に目を転じると、そのすぐ前にこうありました。
臣自抱釁帰藩、刻肌刻骨、追思罪戻、……
臣は釁を抱きて藩に帰りしより、肌に刻み骨に刻みて、罪戻を追思し、……
ここにいう「釁」とは、罪の兆しとなる隙のことです。
そして、この時の「帰藩」とは、鄄城に戻ったことを指します。
一度目の出来事においては、彼はもといた臨淄には戻っていませんから。
ならば、前述した二度目の出来事について、
曹植自身としては、あれは本当に罪を犯したのではなくて、
罪の端緒となるような隙を作ってしまったのだと認識していたことになります。
そして、「追思罪戻」の「罪戻」とは、
一度目に挙げられた罪を指して言っていることになるでしょう。
本作品の見直しが終了したら、これらを踏まえて追記修正します。
2026年2月23日
※二度目三度目の問題、翌日になって、そこまで厳密に考えなくてもよいのではないか、という気持ちに傾いてきました。しばらく置いておきます。