「責躬詩」語釈への追補

先にも言及した「責躬詩」に見える「弼」という語について、
ひとつ語釈に追記したことがあります。

まず、「済済雋乂、我弼我輔」という詩句について、
『尚書大伝』(『礼記』文王世子の正義に引く)に見える次の句、

古者天子必有四隣。前曰疑、後曰丞、左曰輔、右曰弼。
 古は天子には必ず四隣有り。
 前を疑と曰ひ、後を丞と曰ひ、左を輔と曰ひ、右を弼と曰ふ。

これは、「弼」と「輔」とが並んで表れる例として必要な注です。

そして、「弼」は「責躬詩」にもう一箇所、単独でも出てきます。

荒淫之闕  荒淫の闕
誰弼予身  誰か予が身を弼(たす)けん

これに対して、このたび『尚書』益稷に見える次の句を注に加えます。

予違汝弼。汝無面従、退有後言。
予 違はば 汝 弼せよ。汝 面従して、退きて後に言有る無し。

その(偽)孔安国伝に、噛み砕いてこう記されています。

我違道、汝当以義輔正我。無得面従我違、而退後有言我不可弼。
 我 道に違はば、汝は当(まさ)に義を以て我を輔正すべし。
 我が違に面従して、退きて後に 我は弼す可からず と言ふ有るを得る無し。

ここにいう「予(我)」は帝で、その点、前掲の『尚書大伝』と同じです。
また、「弼」が、為政者を「たすける」という意味である点でも同じです。
ただ、「責躬詩」の文脈に、より近いものとして挙げておいた方がよいと考えました。

「弼」の意味する「たすける」とは、
君主を正しき道へとただすことを以て「たすける」ことです。
君主の不備や不足を、臣下が補って回ることをいうのではありません。

君主自らが、「わたしが間違っていたら、それを正せ。
上っ面だけ従うふりをして、後から蔭でごちゃごちゃ言うでない」と言うのです。

中国学を学んだことのある人には当たり前のことでしょう。
けれど、現代日本人の大多数にとっては当たり前ではないかもしれません。

それにしても、このようなことを言える為政者が、
理想的な君主像として語られていた時代があったことに打たれます。

2026年3月6日