晋楽所奏「野田黄雀行」について(承前)

曹植の楽府詩「箜篌引」が、
西晋の宮廷音楽「大曲」の一曲に組み入れられ、
「野田黄雀行」の楽曲に乗せて歌われたことに関して、
清朝の朱乾『楽府正義』巻8には、次のような解釈が見えています。

まず、「野田黄雀行」として、
「置酒高殿上」に始まる歌辞(「箜篌引」)を記した後にこうあります。

楚策荘辛曰、黄雀俯噣白粒、仰棲茂樹。鼓翅奮翼、自以為無患、不知夫公子王孫、左挟弾、右摂丸、将加己乎十仞之上。取義於此、大概在相戒免禍、故与空侯引同。子建処兄弟危疑之際、勢等馮河、情均弾雀。詩但言及時為楽、不言免禍、而免禍意自在言外。意漢鼓吹鐃歌黄雀行、亦此意也。

(『戦国策』)楚策に荘辛曰く、「黄雀は俯しては白粒を噣(ついば)み、仰ぎては茂樹に棲む。翅を鼓し翼を奮ひて、自ら以て患ひ無しと為(おも)ひ、夫の公子王孫の、左に弾を挟み、右に丸を摂(と)りて、将に己に十仞の上より加へんとせるを知らず」と。義を此に取り、大概は相戒めて禍を免れしめんことに在るは、故(もと)より「空侯引(箜篌引)」に同じ。子建は兄弟危疑の際に処りて、勢は「馮河」(『易』泰卦九二爻辞)に等しく、情は弾雀に均し。詩には但だ「時に及びて楽しみを為せ」と言ふのみにして、免禍を言はず、而して免禍の意は自ら言外に在り。意(おも)ふに漢の鼓吹鐃歌「黄雀行」(恐らくは『宋書』巻22・楽志四所収「艾如張曲」を指すか)も、亦た此の意なり。

続いて、「高樹多悲風」を第一句とする「野田黄雀行」を記してこう言います。

自悲友朋在難、無力援求而作。猶前詩久要不可忘四句意也。前以望諸人、此以責諸己。風波以喩険患、利剣以喩済難之権。

自ら 友朋の難に在るも、求めを援(たす)くるに力無きを悲しみて作る。猶ほ前詩の「久要不可忘(久要 忘る可からず)」四句の意のごときなり。前は以て諸(これ)を人に望めども、此は以て諸を己に責む。「風」「波」は以て険患に喩へ、「利剣」は以て難を済(すく)ふの権に喩ふ。

朱乾のこの解釈の中には、
どう捉えるべきか、読解に難渋するところがあります。
たとえば、「前以望諸人」の「前」とは、前掲「置酒・野田黄雀行」をいうのか、
それとも、「高樹・野田黄雀行」の中に流れる時間の前部なのか。
このいずれの解釈を取るにせよ、「望諸人」とは具体的に何を指すのか。

読解できない点は残しつつも、
朱乾がこの両歌辞の間につながりを感じ取り、
そこに意味を見出そうとしていることは確かだと言えます。
傾聴に値する解釈であるように私には思われました。

2024年3月27日