「丹霞蔽日」句の共有
曹植作品の訳注は、今日「丹霞蔽日行」に入りました。
黄節は、これと同じ楽府題の作品が曹丕にもあることを指摘しています。*1
『藝文類聚』巻41によると、その全文は次のとおりです。
丹霞蔽日、采虹垂天 丹霞 日を蔽ひ、采虹 天に垂る。
谷水潺潺、木落翩翩 谷水 潺潺として、木より(葉の)落つること翩翩たり。
孤禽失群、悲鳴雲間 孤禽 群を失ひ、雲間に悲鳴す。
月盈則冲、華不再繁 月 盈つれば則ち冲し、華 再びは繁らず。
古来有之、嗟我何言 古来 之れ有り、嗟(ああ)我 何をか言はんや。
この曹丕「丹霞蔽日行」の前半六句は、
明帝曹叡による「歩出夏門行」(『宋書』巻21・楽志三「大曲」其十二)にも、
次に示すとおり、ほとんど同じ辞句が見えています。
乃眷西顧、雲霧相連、丹霞蔽日、采虹帯天。
(乃ち眷みて西のかた顧みれば、雲霧相連なり、丹霞日を蔽ひ、采虹天に帯びたり。)
弱水潺潺、落葉翩翩、孤禽失群、悲鳴其間。
(弱水潺潺として、落葉翩翩たり、孤禽群を失ひ、其の間に悲鳴す。)
善哉殊復善、悲鳴在其間。
(善き哉 殊に復た善し、悲鳴 其の間に在り。) 以上、第二解より
曹丕作品と曹叡作品との間で共有されているこれらの辞句は、
曹叡が父曹丕の辞句を踏襲した結果なのか、
あるいは、「大曲」の編者によってそのようにアレンジされたのか、
判断が難しいところです。
というのは、「大曲」の歌辞には、
その編成者が本辞にかなり手を加えている可能性があるからです。*2
「善哉殊復善」という句が、第一解にも見えていることから、
楽曲にあわせて辞句が付け加えられていることは容易に推し測られます。
2024年2月7日
*1 黄節『曹子建詩註』(中華書局、1976年重印)巻2、p.83を参照。
*2 たとえば「大曲」其四の「西門行」は、本辞「西門行」(『楽府詩集』巻37)に、本辞との関わりが深い古詩「生年不満百」(『文選』巻29)から更に別の新しい辞句を汲み上げ、古詩「迴車駕言邁」からも一句を取り込んでいる。柳川順子『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)p.343―351を参照されたい。