「唱和詩」という名称

こんばんは。

こちらで、何度か「元白応酬詩」という語を用い、
白居易と元稹との間で交わされた詩の読みを検討しましたが、
この内容に関する先行研究を探索しながら、
「応酬詩」という言葉は実は無い、という現実に突き当たりました。

「応酬詩」という語は、もう十年以上にもなるでしょうか、
元白二人の間でやり取りされた詩を、授業で断続的に読み継いでゆく中で、
いつの間にかなんとなく使うようになったもので、根拠はありません。
たぶん、「応酬」の語義に、相互のやり取りという要素があることからでしょう。
ですが、このたび辞書を確認してみたところ、
詩などについてこの語を用いる場合は、もっぱら返事の意味となるのですね。
双方向的な要素は、何か激しい主張のぶつけ合いのような場面に限定されるようです。

「応酬」の語を、ずっと間違った意味で使っていました。恥ずかしい限りです。

では、元稹と白居易との間で交わされた詩群はどう呼ばれているのか。
それは「唱和詩」が一般的のようです。

ただ、これだと困ることが出てきます。
それは、この「唱和」という語が本来的に持っている「和」のニュアンスです。
元白二人の間で交わされた詩には、調和のイメージからは外れるものが少なくありません。
実際、白居易には「和答詩」(『文集』巻2、0101~0110)という作品群があるくらいで、
元稹詩に対して、決して常に「和」しているだけではないのです。*
元稹の方には、むしろ不協和音を醸し出しているような応酬詩さえ認められます。

そこに、考察を誘いかけてくるものがあるのですが、
「唱和詩」と呼んだ時点で、それが無化されてしまうかもしれません。

では、これをどう呼べばよいのでしょう。
実態はあるのに、それを呼びならわす適切な語が見つかりません。

2020年9月12日

*白居易自身がその序文(0100)で、元稹詩と考えが同じものを「和」、異なるものを「答」というと述べています。もっとも、元稹の気持ちに根本のところで寄り添っているという点では、「和」「答」いずれの応酬詩も同じではありますが。