「大曲」選定者の価値観

「清商三調」を選定した荀勗は、
後漢の司空荀爽を曾祖父に持つ名家の出身で、
大将軍曹爽の掾をはじめ、曹魏王朝に仕えていましたが、
西晋時代に入ると、武帝司馬炎のもとで王朝の中枢を掌握し続けました。*1
(『晋書』巻39に本伝あり)

このような人物の撰に成る「清商三調」が、
多く魏の武帝・文帝・明帝の歌辞によって占められているのは、
その経歴から推測される彼の価値観からして、ある意味とても腑に落ちることです。

では、一方の「大曲」はどうでしょうか。
その特徴は、先にこちらでも大雑把に述べたところですが、
その一曲目「東門行」にして、すでに「清商三調」との異質性が際立っています。
今、『宋書』楽志三に拠って、その本文と通釈を示せば次のとおりです。

  出東門、不顧帰。来入門、悵欲悲。盎中無斗儲、還視桁上無懸衣。」一解
  拔剣出門去、児女牽衣啼。它家但願富貴、賤妾与君共餔糜。」二解
  共餔糜、上用倉浪天故、下為黄口小児。今時清廉、難犯教言。君復自愛莫為非。」三解
  今時清廉、難犯教言。君復自愛莫為非。行、吾去為遅。平慎行、望君帰。」四解

   東の門を出て、家には戻らぬ覚悟であった。
   戻ってきて門を入れば、悲痛で胸は張り裂けそうだ。
   瓶の中には一斗の貯えもなく、また振り返って直視すれば横木には懸けた衣もない。
   剣を抜いて門を出ようとすれば、子らは衣を引っ張って声を上げて啼く。
   「よそ様の家ではただ富貴を願いますが、私はあなたと共に粥をすすっています。
   共に粥をすするのは、上は青青とした天のため、下は幼い息子のためです。
   今は清廉を守り、教戒を犯してはなりません。どうか自重され非行に走られませんよう。
   今は清廉を守り、教戒を犯してはなりません。どうか自重され非行に走られませんよう。」
   「行くぞ。俺は出発が遅かったくらいだ。」
   「どうかお気をつけて。お帰りを待ち望んでおります。」*2

生活苦のあまり、押し止める妻をも振り切って追いはぎに出て行く男の歌。
このような歌辞を、前述のような経歴を持つ荀勗が選んだとは考えにくいことです。
一方、「大曲」の撰者と推測し得る張華であればどうでしょう。
『晋書』巻36・張華伝によると、彼は寒門出身であり、
それであるがゆえに、不遇な人物の推挙に心を砕いたといいます。
張華のそうした境遇や人柄を考え合わせると、
あるいは彼が、この歌辞を選んで、宮廷歌曲用にアレンジし、
「大曲」の第一曲目に演奏するよう設定したのではないかという仮説は、
それほどあり得ない話ではないと言えるかもしれません。

ただし、これはあくまでも傍証であって、
まず、『宋書』楽志三にいう「清商三調」「大曲」と「荀氏録」との照合が先です。
この論述の順番が入れ替わると、途端に根拠のない妄想に成り下がります。

2023年5月14日

*1 荀氏一族の歴史的位置については、丹羽兌子「魏晋時代の名族―荀氏の人々について―」(中国中世史研究会編『中国中世史研究―六朝隋唐の社会と文化―』東海大学出版会、1970年)を参照。
*2 『楽府詩集』巻37所収の本辞については、田中謙二『楽府 散曲(中国詩文選22)』(筑摩書房、1983年)p.26―34に詳細な解釈が為されている。