「棄婦篇」の分かり難さ
本日、以前に公開した「棄婦篇」の訳注稿を修正し、
本詩は王宋という女性のために作られた、とする説を書き入れました。
王宋は、魏の平虜将軍劉勲の元妻で、子が無いために離縁されました。
『玉台新詠』巻2、瀏勲妻王宋「雑詩二首」の序文に、そのことが記されています。
曹植の「棄婦篇」に「無子当帰寧(子無くんば当に帰寧すべし)」とあって、
それが王宋の境遇とまさしく呼応することから、
清の朱緒曾『曹集考異』以来、この説を取る注釈者が多いようです。
ところで、『玉台新詠』所収王宋「雑詩二首」の其一は、
『藝文類聚』巻29では、曹丕の作とされています。
すると、王宋離縁の一件は、
競作詩の題材とされていた可能性もあります。
内容としては、個人的な悲しみを詠ずるものであっても、
それが複数の文人によって共有され、競作に至る例は珍しくなく、
たとえば、曹丕、曹植、王粲による「出婦賦」(『藝文類聚』巻30)があります。
そうした可能性も含みながら曹植「棄婦篇」を読むと、
本詩には、こうした詩作から逸脱するような要素が随所に覗いていて、
このため、読みにくく、理解しづらいところが多々あります。
そして、この分かり難さをたぐりよせていくと、
棄婦の背後に、君主に顧みられない臣下が浮かび上がってきました。
それが妥当かどうか、これから検証していきます。
2024年7月23日