「殿前生桂樹」が象徴するもの

曹植「霊芝篇」が基づく漢代「鼙舞歌」の「殿前生桂樹」は、
おそらく第一句に、殿前に桂樹が生い出たことを詠ずる歌辞なのでしょう。
ではなぜこのようなことから歌い起こすのでしょうか。

類似句は、たとえば古楽府「相逢狭路間行」(『玉台新詠』巻1)に、

中庭生桂樹  中庭に桂樹を生ず
華燈何煌煌  華燈 何ぞ煌煌たる

と見えていますが、そのことが何を意味するのか、今ひとつわかりません。
(単なる風景描写なのかもしれませんが。)

それで、ふと思い当たったのが、
『漢書』巻27中之上・五行志中之上に引く前漢成帝期の歌謡の中に、
「桂樹華不実(桂樹 華実らず)」とあり、歌辞に続けてこうあることでした。

桂、赤色、漢家象。華不実、無継嗣也。
 桂は、赤色にして、漢家の象なり。華実らずとは、継嗣無きなり。

桂樹がこのようなイメージを伴うとすれば、
「殿前生桂樹」は、漢王朝が後継者に恵まれるよう祈るものかもしれません。

これは、昨日述べたこと(妄想)ともつながるかもしれません。
竇皇后は自身が子に恵まれなかったため、肇(和帝)の育ての母となりましたが、
そのことと、漢の後継者を象徴する「桂樹」とはイメージが重なります。

ただ、これは仮説の上に重ねる仮説です。
しばらくすれば、一笑に付すべきものと化すかもしれません。
いつでも引き返すつもりでいます。

2025年1月9日