「清商三調」と「大曲」(承前)
こんばんは。
『宋書』楽志三に収載する「大曲」は、
「艶歌羅敷行」が、「荀氏録」に瑟調曲とあるほか、
その多くは、王僧虔「大明三年宴楽技録」に瑟調曲として記録されています。
(5月10日に示した一覧表に、こちらの「楽府関係年表」もあわせてご覧ください。)
このうち、「白頭吟」は、
王僧虔「技録」では楚調曲とされていますが、
『宋書』楽志三では「大曲」に組み入れられた上で、
「与櫂歌同調(櫂歌と調を同じくす)」と注記されています。
「櫂歌行」ならば、王僧虔「技録」に瑟調曲として記されています。
同じく「大曲」の中、
武帝と明帝の歌辞をのせる二篇の「歩出夏門行」は、
この楽府題自体は、王僧虔「技録」には見えていないのですが、
『楽府詩集』巻37に、「隴西行」のまたの名を「歩出夏門行」ということが記され、
もしこの説明が正しければ、これもまた瑟調曲だということになります。
「隴西行」は、王氏「技録」に瑟調曲として記されていますので。
こうしてみると、「大曲」はすべて、瑟調曲として演奏されたもののようです。
けれども、これらの曲は、「荀氏録」には瑟調曲として記されてはいませんでした。
また、「荀氏録」には「大曲」に関わる記載もないのでした(5月11日雑記)。
「荀氏録」は、『宋書』楽志三にいう「清商三調」とよく重なり合います(5月10日雑記)。
そして、『宋書』楽志三にいう「清商三調」とは、
「荀勗撰旧詞施用者(荀勗の旧詞を撰して施用する者なり)」、
つまり、西晋の荀勗が、漢魏の歌辞から選び取って、三調の楽曲に乗せた歌曲です。
この「清商三調」と重ならないのが「大曲」という歌曲群です。
以上のことから「大曲」の輪郭を描き出してみると、
それはまず、平・清・瑟の三調とは別次元の範疇に属するもののようです。*
そして、その歌曲群の編成は、荀勗以外の誰かが手掛けたのだろうと推し測られます。
2022年5月13日
*増田清秀『楽府の歴史的研究』(創文社、一九七五年)にも「大曲」に関する論述が見えるが、ここでは、先学とは異なる視点からの私見を述べた。