「滄洲先生」とは

こんばんは。

厳島を詠じた平賀周蔵の詩には、
固有名詞の場所や人物がかなり出てきます。
そのほとんどに、自分はまったく手が付けられていませんでした。

そうした詩のひとつに、「滄洲先生」という人物が登場する、
次のような作品があります。

夏日陪滄洲先生遊嚴島過飲壺中菴(『白山集』巻3)
  夏日 滄洲先生に陪して嚴島に遊び 壺中菴に過飲す

竹蹊深卜地  竹蹊 深く地を卜し
茅宇此中偏  茅宇 此の中に偏す
呦鹿新林外  呦鹿は新林の外
残花古砌前  残花は古砌の前
偶随縫掖老  偶〻縫掖の老に随ひて
来伴懸壺仙  来りて懸壺の仙に伴ふ
歓興何辞酔  歓興 何ぞ酔ひを辞せんや
素封有酒泉  素封 酒泉有り

これを自分なりに通釈すれば次のとおりです(語釈は省略)。

竹の茂る小道を分け入ってよき土地を探し求め、
茅で屋根を葺いた質素な庵が、ほかでもないこの片隅に建てられた。
夏の初め、鹿は新緑の林の外で呦呦と鳴き交わしている。
春の過ぎ去った後、花は古びた石畳の階段の前に咲き残っている。
私はたまたま老儒者に付き従って、
壺を店先に懸けて薬を売る仙人と共にやってきた。
感興が高じては、どうして酔いしれるのを辞退しようぞ。
無官のご大臣は酒の湧き出る泉をお持ちだ。

この詩題にいう「滄洲先生」が誰なのか、
『白山集』の序文を読んで、ようやく分かりました。
(前日こちらで紹介した、皆川淇園による序文とは別の一篇です。)
この序文を書いた赤松滄洲という儒者でした。

赤松滄洲は、平賀周蔵と初夏の厳島に遊び、
数日の遊覧の中で、日夜談論し、大いに意気投合したことを、
その経緯とともに、『白山集』序の中に記しています。

この、平賀周蔵の知己とも言える人物が「滄洲先生」でした。

2022年8月9日