「白馬王」の謎
こんばんは。
本日、曹植「雑詩六首」其一の訳注稿を公開しました。
この詩の中には、江湖の広がる南方にいると思しい人物が登場し、
詩中、この詩を詠じている人は、遠くにいるその人物に深い思慕を寄せています。
なぜ南方なのでしょうか。
結論から言えば、この詩は、曹植が異母弟の曹彪を思って詠じたものだと考えます。
先に「贈白馬王彪」詩を読んだ際、
曹彪は、本詩が成った黄初四年の段階で、まだ呉王であったという一件が未解決でしたが、
この「雑詩」を併せ読むことによって、この疑問が氷解するかもしれません。
『三国志』巻20の本伝に記すとおり、曹彪はこの時まだ呉王で、
その南方にいる彼を思って曹植が詩を詠じた、それがこの「雑詩」其一だと見るのです。
李善注(『文選』巻29)に、本詩が鄄城での作だということが記されていて、
上記の推測は、この李善の指摘をひとつの手掛かりとするものです。
ただ、李善の記述には根拠が示されていません。
仮に黄初四年、曹彪がまだ呉王だったとして、
それではなぜ、その詩の題名が「贈白馬王彪」なのでしょうか。
曹彪が白馬王となったのは、黄初七年でした。
そして、黄初七年といえば、文帝曹丕が亡くなった年でもあります。
「贈白馬王彪」の詩は、黄初四年に作られたと思われますが、
その成立背景を記す序文は、この黄初七年以降に作られたのではないか、
曹丕がこの世を去って、曹植は初めて事実を記すことができたのではないかと考えるのです。
この見通しが本当に妥当か、検討していきたいと思います。
2020年5月13日