「磬折」について再び
こんばんは。
しばらく間が空きました。
またしばらく間が空くかもしれません。
「曹植作品訳注稿」はなんとか継続的に作業を進めていますが、
(昨日、やっと「04-07-1 離友 有序 二首(1)」を公開しました。)
こちらの雑記に毎日書くことはとても難しい。
さて、ずいぶん前にこちらで、
阮籍「詠懐詩」其八ほかに見える「磬折」という語は、
曹植「箜篌引」を意識している可能性があるということを指摘しました。
そのことに関連して、少しばかり追記します。
阮籍は「磬折」という語を、
「大人先生伝」の中でも次のように用いています。
或遺大人先生書曰「天下之貴、莫貴於君子。服有常色、貌有常則、言有常度、行有常式。立則磬折、拱若(則)抱鼓、動静有節、趍歩商羽、進退周旋、咸有規矩。……」
ある人が大人先生にこんな書簡を送った。「天下に君子ほど高貴なものはない。服装、表情、言葉、行動、すべてに恒常的な法則性がある。立てば磬の楽器のように腰を折り、拱手して畏まるさまは鼓を抱え込むようで、所作はリズミカルで、足の運びにはメロディが伴うようで、すべての立ち居振る舞いに節度がある。……」(以上は意訳)
そして、ここに見える「立則磬折、拱若(則)抱鼓」という対句は、
直接的には、次の古典に基づく表現であると言えます。
まず、『韓詩外伝』巻1にこうあります。
古者天子左五鐘、将出、則撞黄鐘、而右五鐘皆応之。馬鳴中律、駕者有文、御者有数、立則磬折、拱則抱鼓、行歩中規、折旋中矩。(『韓詩外伝』巻1)
古は天子は五鐘を左にし、将に出でんとするや、則ち黄鐘を撞き、而して五鐘を右にして皆之に応ず。馬の鳴くは律に中たり、駕する者には文有り、御する者には数有り、立たてば則ち磬折し、拱すれば則ち鼓を抱き、行歩は規に中たり、折旋は矩に中たる。
また、前漢末の劉向『説苑』修文にもこうあります。
書曰「五事、一曰貌」(『尚書』洪範)。貌者、男子之所以恭敬、婦人之所以姣好也。行歩中矩、折旋中規、立則磬折、拱則抱鼓。
書に曰く「五事、一に曰く貌と」(『尚書』洪範)。貌とは、男子の恭敬なる所以にして、婦人の姣好なる所以なり。行歩は矩に中たり、折旋は規に中たり、立てば則ち磬折し、拱すれば則ち鼓を抱く。
阮籍は、大人先生に書簡を送りつけてきた似非儒者に、
ここに示した『韓詩外伝』や『説苑』の語句をほぼそのまま言わせて、
その浅はかさや視野の狭さを、大人先生の口を通して笑い飛ばしているのです。
では、阮籍の「詠懐詩」にいう「磬折」もまた、
「大人先生伝」が踏まえた前掲の古典のみを踏まえているのでしょうか。
この点について、もう少し考えてみます。
2022年4月4日