『晋書』陸機伝に対する太宗の制
こんにちは。
渡邉義浩「『晋書』の御撰と正史の成立」を読みました。*
初唐に成った『晋書』は、
巻1・宣帝紀、巻3・武帝紀、巻54・陸機伝、巻80・王羲之伝の巻末に、
唐の太宗李世民自身による制(史評)を付しています。
上記の渡邉論文は、このことをその行論の一部に取り上げて、
太宗がこれにより何を目指したのかを論じています。
このうち、陸機伝に関しては、
その本文に儒教的な色彩の強い作品を多く収録し、
この点、先行する臧栄緒『晋書』とは異なっていることを指摘するのみです。
少なくともこの問題は、もっと丁寧に扱う必要がないだろうかと思いました。
陸機・陸雲兄弟は、南方の呉から、祖国の滅亡を経て晋王朝に参入しています。
そして、隋・唐王朝は、南朝由来の知識人たちを多く擁しています。
そうした人々の中には、たとえば虞世南・虞世基兄弟のように、
陳から隋へ入り、かの二陸の再来かと言われた人もいれば(『旧唐書』巻72・虞世南伝)、
あるいは、その処遇に王朝が苦慮するような人々もいたかもしれません。
『晋書』陸機伝に対する太祖の制が、
その文才を称揚するよりも、身の振り方の拙さを傷む方向に傾いているのは、
そこに、南朝出身者に対するメッセージが隠されているのではないかと思えてなりません。
(ただ、これは感覚的な見通しに過ぎませんし、先行研究にも当たっておりません。)
2020年10月4日
*『三国志研究』第15号、2020年。