『焦氏易林』と曹植
こんばんは。
曹植の楽府詩「当牆欲高行」に、次のようなフレーズがあります。
衆口可以鑠金 衆人の口は金をも融かすと言うとおり、
讒言三至 讒言が三たびやってくれば、
慈母不親 慈母も愛する子から遠ざかる。
「衆口 以て金をも鑠(と)かす可し」は、
『楚辞』九章「惜誦」や鄒陽「獄中上書自明」(『文選』巻39)などに見え、
世の中に広く行われていた諺のごとき言葉のようです。
また、「讒言 三たび至らば、慈母も親(ちか)づかず」は、
故事の内容としては『戦国策』秦策二などに見え、
表現としては、山東嘉祥県武梁祠西壁の「曾母投杼」の図像の下に、
「讒言三至、慈母投杼(讒言三たび至らば、慈母も杼を投ず)」と見えていて、
これも諺のような言葉だったと思われます。
(詳細は訳注稿の方をご覧いただければ幸いです。)
さて、この二つの諺的な言葉をともに収載するのが『焦氏易林』です。
「坤」之「夬」(「坤」卦が「夬」卦に変易するという意味)にこうあります。
一簧両舌 一枚の簧(リード)に二枚の舌、
妄言謬語 根拠のない間違いだらけの言葉、
三姦成虎 三人の悪者が(いもしない虎をいると言えば)虎がいることになり、
曽母投杼 (嘘も三たび重なれば)孝行者の曹参の母でさえ杼を投げ出して逃げる。
また、「萃」之「巽」として、次のような言葉が見えています。
衆口銷金 民衆の口は金をも溶かす。
愆言不験 誤った言葉はあてにはできない。
腐臭敗兔 腐臭のする腐敗した兔は、
入市不售 市場に入っても売り物にはならない。
『焦氏易林』の別々の場所に見えている辞句が、
曹植の楽府詩「当牆欲高行」の中でひとつに組み合わされて用いられている、
このことをどう見るのが妥当でしょうか。
曹植が『焦氏易林』を愛読していたということなのか、
あるいは、曹植が馴染んでいた世界と『焦氏易林』が生まれた土壌が同じということなのか。
なお、『焦氏易林』を著した焦延寿は、前漢昭帝期(BC87―BC74)の人です。
2021年4月12日