その人らしい詩
曹植作品訳注稿は、本日「善哉行」に入りました。
といっても、この作品は、『宋書』巻21・楽志三をはじめとして、
歴代の文献では、詠み人知らずの古辞とされています。*
このことについて、丁晏『曹集詮評』巻五には次のようにあります。
此篇張無之。楽府三十六御覧四百十均作古辞、程誤収入、提要已加駁正。
惟藝文四十一引為植作、今姑存之。然細味詩意、乃漢末賢者憂乱之詩、似非子建作也。
この篇、明の張溥「漢魏六朝百三名家集」所収『陳思王集』には見えていない。
『楽府詩集』巻36、『太平御覧』巻410はともにこれを古辞としているが、
明の万暦年間の休陽程氏刻本十巻は、誤ってこれを採録していて、
このことは『四庫全書総目提要』巻148、集部・別集類の、
「曹子建集十巻」においてすでに論駁是正されている。
ただ、『藝文類聚』巻41に引くところでは曹植の作となっているので、
今とりあえずはこの篇を残しておく。
けれども、仔細に詩の趣旨を吟味してみると、
どうやらこれは漢末の賢者が乱世を憂える詩であって、
曹植の作品ではないように思われる。
では、この「善哉行」は、どこが曹植らしくないのでしょうか。
曹植には、本詩の第一句「来日大難」を題目に示す楽府詩「当来日大難」があります。
両者の比較を通して、曹植らしさというものが明らかになるかもしれません。
2024年2月12日
*漢魏晋時代の俗楽系宮廷歌曲を最もよく保存する『宋書』楽志三も、「来日大難」に始まるこの「善哉行」を、「清商三調」瑟調の「古詞」として採録している。