それぞれの事情
こんにちは。
先に、成公綏の「晋四箱歌十六篇」第六篇を取り上げて、
『易』と、西晋王朝の成立を上天に告げる文章の語句とが対を為すことを指摘しました。
その際、成公綏によるこの歌辞が、
これほど濃厚に王朝への忠誠心を含んでいることに少なからず驚かされたのでしたが、
では、この成公綏という文人はどのような背景を持つ人物なのでしょうか。
『晋書』巻92・文苑伝(成公綏)には、次のようなことが記されています。
成公綏は幼い頃から聡明で、儒教の経典に広く通じていたが、
元来が寡欲な人柄で、極貧生活の中でも安らかな心持を保っていた。
辞賦に優れた才能を持っていたが、世の中に広く知られることは求めなかった。
西晋王朝の時代となって、重臣の張華に見出され、博士、秘書郎、中書郎を歴任し、
張華とともに詔を受けて詩賦を作ったり、賈充らと法律を策定したりした。
泰始九年(273)、43歳で亡くなったことからすると、
成公綏という文人は、その二十代、三十代を、
魏が西晋に簒奪されてゆく過程の中で過ごしたことになります。
もしかしたら彼は、
弱体化した魏王朝の有り様をなすすべもなく眺めつつ過ごし、
次の西晋王朝が成立してから、張華の推挙に応じたのかもしれません。
貧しい、とても有力な家柄の出ではなさそうな彼としては、
似た境遇から身を起こした張華からの推挙はうれしいものだったかもしれません。
とはいえ、西晋王朝に仕えることを、彼自身がどう思っていたかは不明です。
その「鸚鵡賦(序)」(『太平御覧』巻764・924)に、次のようにいいます。
小禽也。以其能言解意、故為人所愛、育之金籠、昇之堂殿。然未得鳥之性。
鸚鵡(オウム)は小禽である。
その、よく話し、言葉の意味を理解できるという能力によって人間に愛玩され、
人はこの鳥を金籠の中で育て、長じては御殿の堂上に上らせる。
けれども、この鳥はいまだ鳥の本性を全うできていない。
鸚鵡はこの時代、割合よく賦に詠じられる題材ではありますが、
そうした小さな存在に目を留め、それを「未だ鳥の性を得ず」と表現した彼の心中は、
必ずしも自身のあり様に満足しきっていたとも言えないように感じられます。
(ただし、この作品の成立年代や背景などはすべて未詳です。)
新しい組織への対し方、距離の取り方には、人それぞれの事情がある。
そうした当たり前のことを、成公綏に気づかされました。
2021年4月25日