それぞれの孤独

昨日言及した曹植「九愁賦」に、次のような対句が見えています。

見失群之離獣  群れを見失ったはぐれ獣が目に入り、
覿偏棲之孤禽  世の片隅に暮らす孤独な禽(とり)と対面する。

つれあいと離別した鳥というテーマは、漢代の詩歌には珍しくありません。

古楽府「双白鵠」(『玉台新詠』巻1「古楽府六首」其六)はその典型ですし、
もと十七曲あった「相和」のうちの失われた一首「鵾鶏」は、*1
張衡「南都賦」(『文選』巻4)にいう、
「寡婦悲吟、鵾鶏哀鳴」の「鵾鶏」がもしそれであるならば、
「寡婦」と対句を成すことから、やはり同趣旨のテーマを詠ずるものと判断されます。

それを我が身に引き付けて詠じたのが曹植であったと言えるでしょう。

「離」と「孤」とを対で用いる表現は、
続く時代の文人たちに、次のように継承されている例を認めることができます。

魏の阮籍「詠懐詩」其四十六に、*2

孤鳥西北飛  孤独な鳥は西北に向けて飛び、
離獣東南下  群れを離れた獣は東南へ下ってゆく。

また、西晋の陸機「贈従兄車騎」(『文選』巻24)にも次のようにあります。

孤獣思故薮  孤独な獣は故郷の林藪をなつかしみ、
離鳥悲旧林  群れを離れた鳥は古巣の林を思って悲しむ。

陸機は、故郷の呉が滅亡してから、もと敵国であった西晋王朝に出仕した人です。
こちらの№4『漢代五言詩歌史の研究』第七章をご参照いただければ幸いです。)
その彼が、曹植の如上の表現を踏まえたことも、
それを少しくアレンジしたことも、故あることとして納得されます。

それでは、阮籍「詠懐詩」はどうでしょうか。
明日につないで考えてみます。

それではまた。

2019年9月26日

*1『楽府詩集』巻26、相和曲上に引く、陳の釈智匠『古今楽録』にいう。
*2『阮籍集』巻下、上海古籍出版社、1978年、第111頁。同作品は、『文選』巻23所収「詠懐詩十七首」の其十五でもあります。

2019年9月26日