まだ先が見えていないと仮定して

先に触れたこともある曹植の「贈丁儀」は、
もし私の推定が妥当であるならば、非常に怖ろしい詩です。

かつて、曹操の跡継ぎとして曹植を強く推した丁儀。
220年、曹操の死後、魏王となった曹丕は、その年の秋、彼を処刑します。
(秋は処刑の季節です。)

そのまもなく殺されることになる丁儀に対して、曹植は、

子其寧爾心    君よ、どうかその心持を安らかに保ってくれ。
親交義不薄    私たちの親交は、薄からぬ情義で結ばれているのだから。

などと悠長なことを言っているばかりか、
その上文では、口を極めて為政者批判をしているのですから。

その為政者とは、兄の曹丕を指します。
丁儀の命は曹丕の手の内に握られているというのに、その曹丕を批判している。
しかも、兄の曹丕と自分とは、薄からざる「義」で結ばれている、
(「親交」は、『荘子』山木篇を踏まえ、肉親どうしの情誼を言います。)
だから大丈夫だ、などと言っているわけです。

曹植は当時、すでに鄄城に封ぜられ、その地にありましたから、
丁儀の置かれた過酷な境遇を、リアルに感じ取れなかったのかもしれません。
情報が遮断されていた可能性もある。

ですが、それにしても、曹植の言葉はあまりにも現実から遊離しています。

そんなわけで、自分の解釈に自ら疑念を持っていたのですが、
本日の授業でじっくりと読み返し、やはりこう見るしかないと判断しました。

当時の曹植は、兄の底知れぬ不安とそこから生じる酷薄さに気付いていなかったのかもしれません。
曹彰(丕の弟、植の兄)も、特別扱いで封国への赴任は免除されると期待していたといいます。
(『三国志』巻十九・任城王彰伝の裴松之注に引く『魏略』)

その人には、まだ自身のその後の人生が見えていない、
ところが、私たちはその人の生涯がいちおう見渡せる地点に立っている。
そうしたことを念頭において、その人の、その時々の作品を読む必要があると思いました。

それではまた。

2019年7月26日