インドネシアからの示唆
こんばんは。
「異文化としての日本」という耳慣れない科目名の授業を担当しています。
留学生や、外国からおいでになった、あるいは海外経験の豊富な先生方から話を聞き、
日本人学生も留学生も一緒になってディスカッションをする中で、
「日本」を外側から、ひとつの異文化として見直そう、という趣旨の科目です。
毎年、留学生の顔ぶれが変われば、聞ける話も変わります。
前回の授業では、インドネシアからの留学生が次のような話をしてくれました。
インドネシアには、300以上の民族集団が存在し、
語彙や文法の異なる、700以上の言語が併存している。
国民の義務としては、必ずいずれかの宗教に帰依することが求められる、と。
様々な文化が共存する中で、その紐帯となっているのが宗教であること、
しかも、その宗教は、複数ある中から選ぶのだということに心底驚かされました。
ある宗教に帰依すると、排他的になるのが常かと思っていましたが、
少なくともこの国では違うんですね。
神と個々人との関係が絶対的に大事なのであって、
人と人とが争うなんてナンセンス、という考えになるのでしょうか。
様々な異文化が共存している状態が当たり前で、
たとえば、各地域のイスラム教の礼拝施設を見せてもらうと、
それぞれの民族集団が持っている文化に根差した様々な外観をしていて、
言われなければそれがモスクだとは分からないくらいに土地に溶け込んでいました。
なお、公用語はインドネシア語ですが、
それを母語とする人々は比較的少数だそうで(多数派が牛耳ったわけではない)、
公用語となったのは、文法体系などがシンプルで学びやすい言語だからだろうとのこと。
未来へのヒントを惜しげもなく分け与えられたような時間でした。
思えば、これは旧中国における統治方法と一脈通ずるところもあるかもしれません。
前近代の中国と、その周辺地域との緩やかな関係性に近いものを感じます。
(強大な文明が中核にあるという点では中国は独特ですが。)
この科目は、こうした授業が必要だと思ったから自ら担当者となって作りました。
もとより、学術的な専門性という観点は敢えて持たない教養科目です。
再編後の教育課程からは消えますが、これが最後となる今学期、
学生たちの変化を丁寧に見守っていこうと思います。
2021年5月6日