一対で提示される勇者たち
曹植「鼙舞歌・孟冬篇」に、次のような句が見えています。
慶忌孟賁 慶忌や孟賁は、
蹈谷超巒 谷や山を踏み越えてゆく。
張目決眥 目を見張り、まなじりを決して、
髪怒穿冠 いきり立って逆立った髪は冠を突き上げる。
「慶忌」は、呉王僚の子で、機敏さをもって知られる猛者、
「孟賁」は、衛出身の勇者として、様々な書物にその名を記されていて、
それらの文献から、二人それぞれについて説明した部分を抜き出すことは可能です。
ただ、この二人が一対で登場していることに私は目を留めたく思います。
「慶忌」「孟賁」について、同様な言及の仕方をしている例として、
『漢書』東方朔伝に「勇若孟賁、捷若慶忌(勇なること孟賁の若く、捷なること慶忌の若し)」、
また、これとほぼ同文が『風俗通義』正失にも見えています。
「慶忌」「孟賁」は、歴史書などにその閲歴が詳しく記されているわけではなく、
様々なところで、勇者の代表格として登場するという人物たちです。
彼らをめぐるエピソードは、漢魏の間、どのようにして伝えられてきたのか、
それを探るヒントがここにあるように思うのです。
なお、前掲四句の後半に見えている表現は、
かつてこちらにも記したとおり、
『史記』の項羽本紀、廉頗藺相如列伝、刺客列伝(荊軻)にも、
非常によく似た表現が見えています。
そのような表現を伴って楽府詩に登場する二人の勇者は、
静的な書物の中の住人であったというよりは、
動的な演劇や語り物の中で躍動していた人物たちなのではないか。
(動的な文芸がたまたま静的な書物に書き留められたということです。)
そんな風に思えて仕方がありません。
2025年9月12日