七という数

こんばんは。

『文選』巻42所収の曹植「与楊徳祖書」について、
集英社・全釈漢文大系の『文選(文章編)五』p.627に、次のようなコメントが見えています。

曹植は、この書簡文の中で、
当世の優れた作者として、王粲、陳琳、徐幹、劉楨、応瑒、楊修の六人を挙げ、
これを「此数子」という漠然とした括り方で総称している。

一方、曹丕「典論論文」(『文選』巻52)では、
孔融、陳琳、王粲、徐幹、阮瑀、応瑒、劉楨を挙げて「斯七子」と括っている。

もし、曹植が上記の六人を指して「此六子」と明言していれば、
「建安七子」ではなく、「建安六子」という表現が後世に伝わったかもしれない。

後世にいわゆる「建安七子」の七という数字は、
他に「竹林七賢」にも見えているので、何か特別な意味が宿っているのかもしれません。
枚乗「七発」に代表される文体の「七」や、「七哀詩」の七も、なぜ七なのか分かりません。
分からないから、そこに何かあるのだろうと思うしかありません。

曹丕は、その不思議な数字の力に惹かれて、
当世の優れた文人を七人集め、「七子」と数合わせした可能性もないでしょうか。

2020年9月30日