三三七のリズム

曹植「平陵東」は、古辞「平陵東」と句数が違っているが、
同じメロディに載せられる歌辞であったかもしれないと昨日述べました。

これは、次に示すように、句の構成という観点からの推測です。

まず、曹植の歌辞の、本文のみを再掲します。

閶闔開、天衢通、被我羽衣乗飛龍。
乗飛龍、与仙期、東上蓬莱采霊芝。
霊芝採之可服食、年若王父無終極。

次に、本辞である古辞「平陵東」です。

平陵東、松柏桐、不知何人劫義公。
劫義公在高堂下、交銭百万両走馬。
両走馬、亦誠難、顧見追吏心中惻。
心中惻、血出漉、帰告我家売黄犢。

両方とも、中核を為しているリズムは三・三・七、
これは、漢魏晋の民間歌謡には割合多く認められるものです。*1

そして、その基層に流れているのは八拍、*2
いわゆる三々七拍子と同じ調子で空白の一拍が入る、と考えてみる。
すると、このリズムは漢語として非常に安定的なリズムを刻むことが感知されます。

さて、三・三・七を1サイクルと見るならば、
曹植の歌辞はこれを3回、古辞は4回繰り返したかたちだということです。
すると、この歌辞の両方を載せるメロディの外枠は、それほど無理なく導き出せるでしょう。
1サイクルがひとつのまとまりを持つメロディだったのであれば、
両者の隔たりは、同じメロディを何度繰り返すかという違いだけになります。
そうでなければ、たとえば、曹植の歌辞の最後の二句を反復して歌い、
本辞のメロディ全体に沿わせたという可能性もあるでしょう。

以上のように考えて、
曹植「平陵東」は、本辞のメロディのみを踏襲する、
その本辞が本来持っていた挽歌としての内容には踏み込まない歌辞であった、
という推論は成り立ち得ると判断しました。

大前提として、曹植の「平陵東」を平静に読んで、特に屈託を感じ取れなかったこともあります。
神仙を詠ずることが、現実世界への批判やそこからの遁走を意味するようになるのは、
いつ頃、どのようなことを契機とするのか、丁寧に考えていきたいです。

それではまた。

2019年12月17日

*1 たとえば、杜文瀾『古謡諺』(中華書局、1958年)p.65、66、69、77、86、95、98、99、100、106、108、109、111、115、116、120、135に採録されている歌謡を挙げることができる。

*2 古川末喜『初唐の文学思想と韻律論』(知泉書館、2003年)第Ⅲ編第四章「中国の五言詩・七言詩と八音リズム」(初出は『佐賀大学教養部研究紀要』第26巻、1994年)を参照。