不吉な影をもつ宴の詩

元旦の宴の楽しみを詠じた曹植「元会」詩に、次のような辞句が見えます。

歓笑尽娯  笑いさざめきながら心ゆくまでくつろいで、
楽哉未央  愉快なことよ、楽しみはまだこれからだ。

“楽しみ”が“未だ央(つ)きず”という表現は、この時代の詩歌には割合よく見えるもので、
たとえば、『文選』所収作品からは次のような事例を挙げることができます。

・蘇武「詩四首」其四:懽楽殊未央(懽楽は殊ほ未だ央きず)(巻二十九)
・劉楨「公讌詩」:懽楽猶未央(懽楽 猶ほ未だ央きず)(巻二十)

曹植ももちろん暗誦していたに違いないこれらの詩は、
いずれも、宴の汲みつくせぬ楽しさ、今のこの瞬間の歓楽を謳歌しています。

ところが、同様な辞句に、人の命のはかなさを重ね合わせて歌うものがあります。
曹丕の「大牆上蒿行」(『楽府詩集』巻三十九)がそれで、
宴席の様子を詠じたその歌の末尾に、次のような辞句が見えています。

今日楽、不可忘、楽未央。
  今日の楽しみは、忘れてはならぬ。楽しみはまだこれからだ。
為楽常苦遅、歳月逝、忽若飛、何為自苦、使我心悲。
  いつも楽しむのに時機を逃してばかりで、
  歳月は、あっという間に飛び去るように過ぎてゆく。
  どうして自分で自分を苦しめて、悲しみに胸を痛めてばかりでいるものか。

同じ発想は、詠み人知らずの「怨詩行」(『楽府詩集』巻四十一)にも次のように見えています。

人間楽未央、忽然帰東岳。
  人の世で存分に楽しみを尽さぬうちに、あっという間にあの世行き。

上文に「嘉賓難再遇(よき賓客は、ふたたびめぐり合うことは難しい)」とあるので、
この「怨詩行」も宴席で歌われたものだと見て間違いありません。

宴の楽しみと人生のはかなさとを表裏一体のものとして歌う、
こうした発想自体は、この時代の詩歌において決して珍しいものではありませんが、
辞句そのものとしては、この組み合わせは必ずしもありふれた表現でもありません。

そして、最初に示した曹植の「楽哉未央」には、次のような辞句が続きます。

皇家栄貴  皇族一家は栄華や富貴を極め、
寿考無疆  限りない長寿に恵まれますよう。

もし曹植が、曹丕の「大牆上蒿行」を踏まえていたとしたら、
ここで祈念している長寿が、ひどく空疎な響きを持ってしまうことになります。

「元会」詩の成立は、趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)が指摘するとおり、
明帝(曹叡)の太和六年(232)の正月と見るのが妥当だと私も思いますが、
この時、曹丕はすでにこの世になく、まもなく曹植も没します。
元旦の宴を言祝いだ詩でありながら、どこか不吉な影を感じる表現です。

それではまた。

2019年8月20日