世俗的な教訓詩

こんばんは。

曹植の「矯志」という四言詩を読んでいます。
非常に多くの古典語や故事が踏まえられているのですが、
黄節ら先人の注釈書に導かれながらその典拠をたどっていると、
(更に、その典拠である書物の、先人による注釈書を紐解いてみると)
複数の書物に、同じような言葉や故事が記されている例によく遭遇します。

たとえば、
カマを振り上げる螳蜋(カマキリ)に怖気づいて軍を撤退した斉の荘公は、
『韓詩外伝』巻八にも、『淮南子』人間篇にも見えますし、
勇士を募るため、怒った蛙に対して敬礼してみせた越王の故事は、
『韓非子』内儲説上にも、『尹文子』大道上にも見えているという具合です。
(更に多くの他書にも引かれているかもしれません。)

これは、どういうことでしょうか。
思うに、複数ある書物の中のいずれかが源流というわけではなくて、
周知の故事や言葉を、それぞれの書物が書き留めたということかと考えます。

そして、それら周知の言葉や故事は、
経書のようないわゆる古典とは少し肌合いが異なっていて、やや通俗的です。
口頭で広く流布していた故事や言葉である可能性もあります。

もしかしたら、曹植の「矯志」詩そのものが、
古代によくある通俗的な教訓詩の系譜を引く作品なのかもしれません。*
ならば、そうした作品に通俗的な典故が引かれるのは自然なことだろうと思います。

2022年5月15日

*鄭振鐸『俗文学史』第二章「古代的歌謡」第七節を参照。