中国のオシラサマ
こんばんは。
本日の授業で取り上げた、干宝『捜神記』巻14に、次のような話があります。
少し長くなりますが、原文に翻訳を添えて紹介します。
旧説、太古之時、有大人遠征、家無餘人、唯有一女、牡馬一匹、女親養之。窮居幽処、思念其父、乃戯馬曰「爾能為我迎得父還、吾将嫁汝。」馬既承此言、乃絶韁而去、径至父所。父見馬驚喜、因取而乗之。馬望所自来、悲鳴不已。父曰「此馬無事如此、我家得無有故乎?」亟乗以帰。為畜生有非常之情、故厚加芻養。馬不肯食。毎見女出入、輒喜怒奮撃。如此非一。父怪之、密以問女。女具以告父、「必為是故」。父曰「勿言、恐辱家門。且莫出入。」於是伏弩射殺之、暴皮于庭。父行、女与隣女於皮所戯、以足蹙之曰「汝是畜生、而欲取人為婦耶?招此屠剥、如何自苦?」言未及竟、馬皮蹶然而起、巻女以行。隣女忙怕、不敢救之。走告其父。父還、求索、已出失之。後経数日、得於大樹枝間、女及馬皮、尽化為蠶、而績於樹上。其繭綸理厚大、異於常蠶。隣婦取而養之、其収数倍。因名其樹曰桑。桑者、喪也。由斯百姓競種之、今世所養是也。……
古くからの伝説にいう。大昔、ご主人が遠くへ出征し、家には他に誰もいず、ただむすめが一人、牡馬が一匹いるだけで、むすめは親しく馬の世話をした。閉じこもった生活の中でひたすらその父が思われてならず、そこで馬に戯れにこう言った。「お前が私のためにお父様を迎えに行って連れて帰って来れたなら、私はお前と結婚しよう。」馬はこの言葉を聞くと、絆を断ち切って立ち去り、まっすぐに父親のところにたどり着いた。父は馬を見て驚いて喜び、そこで馬にまたがった。馬はやってきたところを遠く望んで、悲しげに鳴いて止まない。父親は「この馬はこのように無事だが、私の家に何かあったのではあるまいな」と言って、すぐに馬に乗って帰った。畜生でありながら尋常でない情を持っているとして手厚くまぐさを与えられたが、馬は食べようとしないで、むすめが出入りするのを見るたびに、喜んだり怒ったりして暴れ、こういうことが一度や二度ではない。父親はこれを怪しみ、ひそかにむすめに問うたところ、むすめはつぶさに父に告げ、きっとこのためだろうと言った。父親は、「このことを人に言ってはならないぞ。家門を汚すことになりかねないから。しばらく家を出入りしてはならぬ」と言って、仕掛けた石弓で馬を射殺し、皮を庭にさらした。父が出かけて、むすめは隣家のむすめと馬の皮のところで戯れ、足でそれを踏みながら言った。「おまえは畜生なのに、人のことをお嫁さんにしたがるなんて。だから皮を剥がれるようなことになって。なんだってこんな自分を苦しめるようなことをしたの。」むすめがそういい終わらないうちに、馬の皮はさっと立ち上がり、むすめを巻いて飛んで行った。隣家のむすめは慌てふためき、これを救うこともできず、その父のところに走っていって告げた。父親は戻ってきて探したが、もう出ていって行方が知れなかった。それから数日が経過して、大きな樹木の枝の間に見つかったが、むすめと馬の皮はすべて蚕に変化して樹木の上で糸を引いていた。その繭は糸の巻き方が厚く大きく、通常の蚕とは異なっていた。隣家のむすめはこれを取って養い、その収穫は数倍だった。そこでその樹木を桑と名付けた。桑とは、喪である。これにより、人民は競ってそれを植え、今の世で飼っている蚕がこれである。……
これとよく似た話が、柳田國男『遠野物語』に収載されています。
では、『捜神記』と『遠野物語』とは、どのような関係にあるのでしょうか。
多くの場合、中国の文献が日本に流入したものとされますが、
この故事の場合、果たして同じように見てよいのか、ためらいを感じます。
というのは、この種の中国志怪小説によく見る、いかにも歴史書然とした記述の仕方、
―たとえば、固有名詞の名前や地名を明記するというスタイル―
これが、『捜神記』のこの故事を書き留めた部分には認められないからです。
たとえば、養蚕を行う地域に広く分布している話が、
『捜神記』にも収載され、遠い歳月を経て『遠野物語』にも採録された、
そのような可能性もあり得るのではないかと思うのです。
どなたかお詳しい方にご教示いただけたらありがたいです。
2020年7月13日
*先坊幸子「六朝志怪における廟神の前身と誕生」(『中国中世文学研究』第63・64号(森野繁夫博士追悼特集)2014年)に、この物語を記す『捜神記』と『遠野物語』を挙げ、人と動物との関係性について、日中間の違いに論及した部分があります。この論点に関しては、まったく同感です。