中国古典文学は生き残れるのか

昨日は、卒業論文の口頭試問で、8名の副査を務めました。
(今年は、主査つまり卒論の指導をした学生はいなかったので、すべて副査です。)

社会科学的研究が古典文学研究とは異質であることはもとより承知していますが、
今年は特に、日本の現代文学と自身との乖離の大きさに驚き、足元がぐらつくようでした。
近い時代でも、昭和文学なら一読者として好きな作家も何人かいるのですが、
ごく最近の若い作家たちの作品となるとどうにも入っていけません。

こちらが、相手を理解したと言えるところまで辿り着けないということは、
先方もこちらのことを、わけがわからないと感じているでしょう。

道理で、学生たちに、白居易と元稹との応酬詩にあまり興味を持ってもらえないはずです。
他方、志怪小説にはかなりの吸引力があると感じる、そのわけも腑に落ちました。

中国の古典文学は、これから先、日本の人々の中で生き残っていけるのでしょうか。

自分が身を置いているのは、様々な分野と地域が同居する国際文化学科です。
現代社会の縮図のようなこの学科で、自分なりにがんばってきたつもりではあるけれど、
卒論で学生さんたちに選んでもらえない現実は非常にこたえます。

とはいえ、授業をしている中での手ごたえは、それほど悪くはないのです。
絶滅が危惧される珍種の動物を見ているような感じでしょうか。

考察の最先端をライブで示していくことは、
たとえ研究者を養成するのではない本学科のようなところでも、あってよいと感じています。
(もちろん学会発表のようなものを生のかたちで出すことはしませんが。)
そのわくわく感を水で薄めることなく、もともと無関心だった人々をも振り向かせる、

そんな大それた野心をもってやってきましたが、いつまで気力が続くか。

それではまた。

2020年2月7日