伏流する物語
文献に記されたことは氷山の一角である、ということについて。
漢代の墓壁を飾る画像石。
そこにわりとよく描かれている題材のひとつに、
大人(孔子)が小さな子どもに向き合っている図があります。
子どもは小さな車輪のついたおもちゃを手にしていて、
その類型的な図像からすぐにそれとわかります。
この子どもは、項橐(託とも表記される)だとされています。
ところが、彼の事跡を古代の文献上に確認することはかなり難しい。
たとえば『戦国策』秦策五に、
「そもそも項槖は七歳にして孔子の師となった」とありますが、
それは甘羅という人物が相手を説得するために引き合いに出しただけであって、
項槖と孔子との故事そのものを記すのではありません。
ところが、時代を唐代まで下ってみると、
敦煌変文(敦煌から発掘された絵解き物語)に、
二人の様々な問答を会話体で記す「孔子項託相問書」があります。
では、これらの小話は、唐代になって始めて作られたものなのでしょうか。
おそらくはそうではないだろうと思います。
先行研究*に列挙された項橐に言及する文献は、
敦煌変文に記されているような問答を記述するものではありません。
ですが、そのことが即、この物語が存在しなかったことを意味するわけではない。
項橐と孔子との問答は、誰もが知る小話として広く流布していた、
その有名な話の主人公が、時に文献上に断片的に記されて今に伝わっている、
そういうことなのではないかと考えます。
それではまた。
2019年6月28日
*たとえば、張鴻勛「《孔子項託相問書》故事伝承研究」(『敦煌学輯刊:1985年敦煌吐魯番学術討論会論文専輯』1986年第1期)、劉長東「孔子項橐相問事考論―以敦煌漢文本《孔子項橐相問書》為中心」(『四川大学学報(哲学社会科学版)』総第125期、2003年第2期)。