何によって得た知識か
こんばんは。
毎日少しずつ、平賀周蔵が嚴島を訪れて詠んだ詩を読んでいます。
読むごとに、この江戸期の詩人に段々と親しみを感じるようになってきました。
よく理解できるようになったとは到底言えませんが、
よく分からない点が浮かび上がってくるようになってきたのが進歩です。
たとえば、この人は割合よく唐代の詩を踏まえたと見られる表現をしますが、
それらの辞句は何によって吸収したものだったのでしょうか。
江戸期の人々によく読まれたという『唐詩選』にも見当たらない詩だったりするので、
愛読する詩人の作品集を手元に置いていたのかとも思われますが、未詳です。
また、先日は、『旧唐書』巻192・隠逸伝に記された、
田遊巖が皇帝に語ったという次の言葉を用いていることに驚かされました。
臣泉石膏肓、煙霞痼疾、既逢聖代、幸得逍遥。
わたくしは、泉や石、霞たなびく景色に魅せられる病に罹っておりますが、
聖君の御代に巡り会いまして、幸いにも自由気ままに過ごすことができております。
実は、「煙霞痼疾」とか「泉石煙霞」とかいった語は、
ちょっとネット検索をしてみただけで、すぐに出典付きで出てきたりします。
ですが、平賀周蔵は『旧唐書』全巻を読破していたのでしょうか。
『旧唐書』という書物は、そこまで普遍的古典の位置を獲得していたとは思えません。
では、彼はこの言葉をどのような経路で得たのでしょうか。
今の段階で自分が平賀周蔵について知りたいのは、
まず、彼の教養的基盤がどのようにして形成されたのかということです。
成語にせよ漢詩にせよ、彼は何によってそれらを自分のもとに引き寄せたのでしょうか。
たとえば彼が読んだ漢籍の目録のようなもの、
あるいは、読書日録のようなものがあればいいのに、と思います。
2021年3月27日