側近の悪事

先に記したことの中に誤りがありました。

丁儀が、徐奕と崔琰との間を引き裂いた(巻12「徐奕伝」裴注引『傅子』)というのは誤りで、
正しくは、曹操という明君と、徐奕・崔琰という賢臣との間を、丁儀が引き裂いたということです。

原文は次のとおりです。(実に初歩的な読み誤りで恥ずかしい。)

武皇帝、至明也。
 (武帝曹操は、非常に聡明な君主であった。)

崔琰・徐奕、一時清賢、皆以忠信顕於魏朝。
 (崔琰・徐奕は、時代を代表する清賢で、いずれも魏朝において忠信で名を知られた。)

丁儀間之、徐奕失位而崔琰被誅。
 (丁儀が両者の間を割いて、徐奕は位を失い、崔琰は誅罰を受けた。)

昨日述べた、崔琰の書簡を曲解して貶めたある者(『三国志』巻12「崔琰伝」)とは、
もしかしたら丁儀のことだったのでしょうか。
同巻裴松之注に引く『魏略』も、「与琰宿不平者(崔琰と常々不仲な者)」と記すのみで、
そこに名前は明記されていないのですが、
もし、近い時代の『傅子』に記すところが正しいならば。

丁儀と崔琰との負の接点は証明できませんが、
丁儀らが、徐奕や
毛玠らを陥れたことは公然の事実です。
なぜ彼らはそこまでして曹植を担ぎ上げようとしたのでしょうか。
そして、そうした側近の言動を、曹植はいったいどう見ていたのでしょうか。

それではまた。

2019年10月8日