元白交往詩雑感(2)

こんにちは。

過日、通釈とともに紹介した白居易の「寄微之」と元稹の「酬楽天歎損傷見寄」は、
二人の思いに微妙なずれがあるように感じられる唱和詩でした。
白居易は、思うに任せぬ官途に落胆しているであろう元稹を、慰め、励まそうとしているのに対して、
元稹の方は、社会的挫折よりはむしろ、心身ともに疲弊していることをこぼし、
親友から寄せられた詩もどこか虚ろに響いているような様子です。

では、白居易はなぜ、友の心には響かない慰めの詩を書き送ったのでしょうか。

元稹は元和14年当時、虢州(雄級…上州*1)の長史(従五品上*2)で、
前職の通州(上州)司馬(従五品下)よりは、少しだけ官位が上昇しています。
それに、これまで彼をひどく苦しめてきた南方特有の瘴気からは解放されているのです。
慣れない風土の地方から、中央寄りの高い等級の土地へ遷ったことを、
まずは祝してもよかったのではないでしょうか。
それなのに、白居易は元稹をねんごろに慰撫していました。
これはどういうわけでしょうか。

白居易はその前年、李夷簡(『新唐書』巻131・宗室宰相列伝)が宰相となったことを聞いて、
元稹に、これで君も貶謫の地を脱出できるだろうと慶賀する詩を送っています。*3
また元稹は、「酬楽天東南行詩一百韻」(『元氏長慶集』巻12)の序に、*4
「(元和)十三年、予以赦当遷(予は赦を以て当に遷るべし)」と記しているように、
淮西の乱の平定に伴う恩赦により、自分は当然、通州司馬から異動になると期待していたようです。*5
ですが、李夷簡は間もなく外任を求めて淮南節度使となり(前掲『新唐書』本伝)、
元稹の昇進は、期待していたようには事が運びませんでした。
(以上、元和13年における二人の動向は、研究生の劉麗丹さんが指摘してくれました。)

このような経緯があったため、
白居易は、元稹がさぞ落胆しているだろうと思い遣り、
先に紹介した「寄微之」詩を、遠方の友に宛てて書き送ったのでしょう。

つづく。

2021年1月12日

*1 平岡武夫・市原亨吉『唐代の行政地理(唐代研究のしおり2)』(同朋舎、1985年。初版は、京都大学人文科学研究所、1954年)p.25、序説p.32を参照。以下同様。
*2 小川環樹編『唐代の詩人―その伝記』(大修館書店、1975年)付録の礪波護「唐代の官制と官職」付「唐代百官表」を参照。以下同様。
*3「聞李尚書拝相、因以長句寄賀微之(李尚書が相に拝せらると聞き、因りて長句を以て微之に寄せ賀す」(『白氏文集』巻17、1052)。明治書院・新釈漢文大系『白氏文集 四』p.53~54を参照。この白詩に唱和した元稹の詩は、『元氏長慶集』巻21に「酬楽天聞李尚書拝相以詩見寄(楽天の李尚書が相に拝せらると聞き詩を以て寄せらるるに酬ゆ)」と題して収載されている。
*4 もととなった白居易の詩は、「東南行一百韻。寄通州元九侍御・澧州李十一舎人・果州崔二十二使君・開州韋大員外・庾三十二補闕・杜十四拾遺・李二十助教員外・竇七校書」(『白氏文集』巻16、0908)、元和十二年の作で、元稹・李建・崔韶、韋処厚・庾敬休・杜元穎・李紳・竇鞏ら友人たちに宛てて、都長安を回顧しつつ、流謫先の江州の様子を詠じたもの。新釈漢文大系『白氏文集 三』p.333~351を参照。
*5 周相録『元稹集校注』(上海古籍出版社、2011年)上、p.369の注[7]を参照。