元白応酬詩札記(2)

こんばんは。

今年も演習科目で元稹と白居易との応酬詩を読んでいますが、
その中で気づいたことをメモしておきます。
(元白応酬詩札記(2)としたのは、2020.05.07に続けて2回目だから。)
なお、先行研究に指摘があるかどうかは未確認です。

白居易の名作「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」(『白氏文集』巻14、0724)、
この詩がどういう経緯で作られたのか、わかりました。
まず、その本文を挙げておきます。

銀台金闕夕沈沈  銀台門や金鑾殿が夜の底に深々と沈み込んでゆくこの夕べ、
独宿相思在翰林    私は一人、宮中の翰林院に宿直して、君のことを思っている。
三五夜中新月色    八月十五日の夜空に昇ったばかりの満月の色、
二千里外故人心    二千里の彼方にいる旧友の心。
渚宮東面煙波冷    江陵の庁舎の東方では、靄の立ちこめた水面が冷やかに波立っているだろう。
浴殿西頭鐘漏深    ここ浴堂殿の西方では、鐘の音や水時計が深まる時を刻んでゆく。
猶恐清光不同見    ただ、君にはこの清らかな光が同じようには見えていないのではと心配だ。
江陵卑湿足秋陰    江陵は低湿地で、秋の空もいやになるほど曇ってばかりだというから。

謎を解く鍵は、最後から二句目「猶恐清光不同見」にあります。

なぜ「猶」なのか。
これは、君もきっとこの月を見ているに違いない、という確信が前提にある言い方です。
ではなぜ白居易はこんなにも、元稹の自分に対する思いを確信しているのか。

この詩は、元稹が江陵に左遷された元和五年(810)の作です。
その前年、元稹は観察御史として蜀へ赴く途中、連作詩「使東川」三十二首を作り、
その内の十二首に白居易が応酬、その中に「江楼月」があって、その結びにこうあります。

今朝共語方同悔  今日、君と語らって、今になってやっと同じく後悔した、
不解多情先寄詩  あふれる情のままに自分から先に詩を君に送れなかったということを。

次に美しい月を眺めることがあったなら、自分から詩を送ろうと二人は誓っていた、
だから白居易は「猶」の一言で、元稹が月を眺めているのを当然のことと言外に示したのでしょう。

しかも「恐清光不同見」という表現は、元稹の「江楼月」の次の句を想起させます。

誠知遠近皆三五  たしかにいずこも同じ十五夜の月だとはわかっているが、
但恐陰晴有異同  ただ心配なのは、晴れか曇りかに違いがあるのではないかということだ。

白居易は、元稹の詩をさりげなく踏まえつつ「八月十五日夜」詩を詠じているのです。

2020年6月20日