元白応酬詩札記(2)追記

こんばんは。

白居易の「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」は、
その前年に成った元稹の「江楼月」と、
それに唱和した白居易の「江楼月」との伏線の上に成ったものである、
との推定を昨日述べました。

このことに関して、ひとつ追記をしておきます。

それは、元稹の「江楼月」を含む連作詩「使東川」三十二首は、
もともと白居易ひとりに宛てて作られたものではないということです。
このことは、題目に白居易に宛てたことを示す言葉が見えないことから明らかですし、
元稹詩の自注の中に次のような人々の名が複数回現れることからも知られます。

李建(字は杓直)、貞元14年の進士。白居易の友人である王起と同期。
白行簡(字は知退)、元和2年の進士。白居易の弟。
李復礼(字は拒非)、貞元19年、書判抜萃科及第。白居易、元稹と同期。
庾敬休(字は順之)、年代は不明ながら、進士、博学宏詞科を経て秘書省校書郎。
(以上、徐松『登科記考』に拠る。)

白行簡によって書写され、「東川巻」と銘打たれた元稹の三十二篇の詩は、
まず上記の人々、更にはその周辺の知識人たちへと享受の輪が広がっていったでしょう。
上には記していませんが、もちろん白居易もその中のひとりです。

白居易はその「東川巻」の中の十二首に唱和し、その冒頭に次のような自注を付しています。

十二篇、皆因新境追憶旧時。不能一一曲叙、但随而和之。唯予与元知之耳。
十二篇は、みな新しい境遇に因んで昔のことを追憶するものである。
ひとつひとつ細かく述べることはできないけれども、ただ気の赴くままに唱和したもので、
私と元稹のふたりのみ、このこと(詩に詠じられた内容)を知っているだけである。

この時期、わずかに白居易の方がより強く相手のことを思っていたのかもしれません。

そして、白居易は元稹と交わした言葉をよく覚えていて、
中秋の名月にめぐりあうと真っ先に、元稹に自分から詩を寄せたのでしょう。

2020年6月21日