元白応酬詩札記(3)

こんにちは。

元白応酬詩札記(2)で取り上げたことの続きです。
「江楼月」をめぐる元稹との約束を覚えていて、
左遷された彼にいち早く自分から詩を送った白居易でしたが、
この白居易詩に対する元稹の反応は、かなり屈折を感じさせるものでした。
その「酬楽天八月十五夜禁中独直玩月見寄」(『元氏長慶集』巻17)にこう詠じています。

一年秋半月偏深  一年の中でも秋の半ばとなると、月はとりわけ空の奥まったところに懸かる。
況就煙霄極賞心    まして靄にかすむ空に月を愛でようとすれば、その見えにくさときたら…。
金鳳台前波漾漾    金の鳳凰のごとき高楼の前には、波立つ水面がゆらゆらと揺れ動き、
玉鉤簾下影沈沈    玉の鉤で巻き上げた簾の下には、月影が靄の向こうに深々と沈んで見える。
宴移明処清蘭路    (大明宮では)宴席が明るい場所に移されて、香しい蘭の道は清められ、
歌待新詞促翰林    翰林院に詰める文人たちに、新しい歌詩を求める仰せが下っているのだろう。
何意枚皋正承詔    まったく思いがけなくも、枚皋殿はちょうどその仰せを承ったとき、
瞥然塵念到江陰    ちらりと俗念を生じて、長江のほとりにいる者にまで思いを馳せてくださった。

1・2句目は、白居易詩の結び「猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰」に対する答えでしょう。
この句の中に、元稹の強がりを読み取った学生もいました。

3句目の「金鳳台」は未詳です。
先行研究は、宮中の鳳凰池(中書省をも意味する)の傍に立つ高楼と注していますが、*
これに従って、この句を白居易のいる宮中の情景だと捉えると、
前の句とのつながりが薄れ、詩全体の重心が大きく宮中の情景の方へ傾きます。
そこで、ここは元稹のいる側の風景ではないかと考えたのですが、いかがでしょうか。

後半の4句は、一転して白居易のいる大明宮の様子を思い描きます。

「清蘭路」という辞句は、『文選』巻13、謝荘「月賦」にそのまま見え、
これを踏まえて、白居易が勤務する大明宮中で、宴席が準備されることと解釈されます。

奇妙に感じられるのは、結びの部分です。
「枚皋」は、この文脈からすれば当然白居易を指すでしょう。
ところが、この枚皋という文人は、それほど褒められた人物だとは言えません。
自ら枚乗(前漢初期の代表的文人)の子だと名乗って宮中に召され、
その作風は軽薄かつ拙速であったといいます(『漢書』巻51)。
元稹はなぜそんな人物に白居易をなぞらえたのでしょう。
「清蘭路」を踏まえた流れからすると、たとえば王粲でもよかったのに。
皇帝に仕える者でなければならなかったからだとしても、枚皋とは解せません。

また、「塵念」とは、白居易から元稹に向けられた思いを指すはずですが、
それがなぜ、俗塵にまみれた想念と表現されたのでしょうか。
しかも、その自分に向けられた想念は「瞥然」、つまりちらりと生じたものです。
ひたすら自分だけに向けられた思いではない、とでも言いたげです。

宮中での華やかな宴のなかで、ついでのように自分を思い出してくれた。
清らかな宮中とは別世界にいる自分に向けられたその思いは、
俗塵にまみれた自分に向けられたものである以上、俗念と言わざるを得ない。
白居易の詩を受け取った元稹は、白居易の思いとは裏腹に、このように感じたようです。

2020年6月28日

*楊軍『元稹集編年箋注(詩歌巻)』(三秦出版社、2002年)p.336、周相録『元稹集校注』(上海古籍出版社、2011年)p.547、呉偉斌輯佚編年箋注『新編元稹集』(三秦出版社、2015年)p.2381を参照(2020.06.29確認)。