元白応酬詩札記(7)
こんばんは。
明日の授業で、先に述べた元白応酬詩をめぐる考察を話す予定なのに、
その後、あまり進展がなく、まだ考えがかたちになりません。
今、思いつくままにメモを記しておきます。
「瞥然塵念」という語は、
元稹「酬楽天八月十五夜禁中独直玩月見寄」の中で、
清らかな大明宮中に詰めている白居易から、
塵埃にまみれた江陵の元稹に寄せられた思いを指していました。
その数年後、白居易「与微之書」の中に現れる「瞥然塵念」は、
江州に貶謫されて二年になる白居易が、
通州に出されてほぼ同じ時を経た元稹に寄せる思いを指しています。
この場合の「塵念」は、続く句に見える「余習」が仏教語であることから、*
それと同じく、世俗的な思いを言っているのでしょうか。
それとも、塵埃にまみれた境遇の中で、旧友に馳せる思いを言っているのでしょうか。
いずれにせよ、元稹詩にいう「瞥然塵念」を受けて、
たとえば自分の思い上がりを恥じたといったような様子は感じられません。
とはいえ、長い歳月を経てこの言葉を持ち出しているからには、
きっと何か心に期するところがあったのでしょう。
それを解く鍵は、「籠鳥檻猿倶未死、人間相見是何年」にあるかもしれません。
かつては宮中から馳せた君への思いを、今は貶謫の境遇から君に送る。
今の自分なら、君の気持ちが一層深く理解できる。
籠の鳥や檻の中の猿のように、我らはともに束縛された身だが、まだ死んではいない。
いつか再び人間界で再会しよう。
そんな同志としての意識なのでしょうか。
2020年7月15日
*岡村繁訳注『白氏文集 五』(明治書院、新釈漢文大系)p.439を参照。