元白応酬詩札記(9)

こんばんは。

元白応酬詩をめぐる昨日の感想から、新たな疑問が生じました。

元稹の「種竹并序」を受けて、
即座に応じた白居易の「酬元九対新栽竹有懐見寄」詩でしたが、
それほど元稹の身を案じている詩なのだとして、この詩の結びをどう捉えるべきか、
一般に行われている読みだとしっくりこないのです。*1

四句ずつまとまりを為す全二十句、そのうちの最後の八句を挙げます。
問題となる最後の二句は、解釈が未だ定まらないので、訓み下しのかたちで示します。

憐君別我後  いじらしいことに、君は私と別れて後、
見竹長相憶  竹を目にしては、長く私のことを想い続けてくださって、
常欲在眼前  いつも眼前に竹があるようにしたいと思って、
故栽庭戸側  わざわざ庭の戸口の側らにこれを植えたのだという。
分首今何処  二人は離別して、今どこにいるかといえば、
君南我在北  君は南に、私は北にいる。
吟我贈君詩  我が君に贈る詩(「贈元稹詩」)を吟じ、
対之心惻惻  之に対して心惻惻たり。

最後から2句目、「我が君に贈る詩」を「吟」じているのは誰でしょうか。
従来の読みでは、この「吟」の主語は元稹とされています。
これに伴い、最後の「心惻惻たり」という状態の人も元稹なのだと捉えられています。

ですが、このように解釈すると、白居易の心情が見えなくなるのです。
「君は私から先に送られた詩を吟詠して、さぞ痛み悲しんでいるだろう」では慰めにならず、
すぐさま応答したというその行為から溢れ出る心情との整合性が取れません。

「惻惻」は、杜甫「夢李白二首」の一首目*2に、次のとおり用例が見えています。

死別已呑声  死別はもはや声を呑んでむせび泣くしかないが、
生別常惻惻  生き別れには、いつも切々と痛み悲しむ思いが付きまとう。
江南瘴癘地  江南は瘴気の漂う土地であって、
逐客無消息  放逐された旅人(李白)からの消息は無い。

生き別れの相手は李白、李白は今、放逐されて南方「瘴癘の地」にいます。
この李白が置かれた境遇は、江陵に左遷されている元稹に非常に近いものがあります。
(この詩の下文には、前掲の白詩と共通する「長相憶」という辞句も見えています。)

その「逐客」たる李白を思い浮かべて、
杜甫は「生別は常に惻惻たり」と言っているのですね。
すると、「惻惻」という心情を抱いているのは、
南方に放逐されている人ではなく、その人を心配している人だということになります。

白居易がこの杜甫の詩を意識しているとするならば、
「対之心惻惻」の主語は白居易自身だと見るのが自然でしょう。
そして、それに伴い、「吟我贈君詩」の主語も白居易自身だということになります。
白居易は、かつて元稹に贈った自作の詩を吟詠して、
そこに詠じた元稹の姿と今の彼の様子を想起し、心を痛めているのではないでしょうか。

なお、元稹は杜甫の詩の価値を見出した人であり、
白居易は、元稹を経由して杜甫の詩に開眼したといいます。
白居易が杜甫の詩を踏まえつつ応酬したとは、十分に考え得ることだと思います。

2020年7月31日

*1 新釈漢文大系『白氏文集一』(明治書院、2017年)作品番号0027、佐久節訳注『白楽天全詩集』(続国訳漢文大成、1928年)を参照。
2 『杜甫全詩訳注一』(講談社学術文庫、2016年)作品番号0269を参照。