兄への屈託

曹植は、兄の曹丕と、父の後継者争いをするつもりはなかった、
とは昨日述べたところです。

また、曹植の「吁嗟篇」(『三国志』巻19「陳思王植伝」裴松之注に引く)は、
その末尾で次のように歌っています。

願為中林草   できることならば林の中の草となって、
秋随野火燔   秋の日、野火に煽られるままに焼かれてしまいたい。
糜滅豈不痛   焼けただれ死滅するのは苦痛であるに決まっているけれど、
願与根荄連   それでも、どうか根っこと連なれますように。

ただ、曹植は終生、兄弟愛を持ち続けたというわけではありません。
そのことは、彼自身の作品から読み取れます。

たとえば、側近の丁廙に宛てた「贈丁翼」(『文選』巻24)は、
賓客たちで埋め尽くされた王宮での宴とは別に、
宮城の片隅で、気心知れた者たちと私宴を設ける思いをこう詠っています。

我豈狎異人  私は見知らぬ人と慣れ親しんだりするものか。
朋友与我倶  古なじみの友人たちが、私とともにいてくれるのだ。

上の句は、『毛詩』小雅「頍弁」にいう、次の句を明確になぞっています。

豈伊異人  豈に伊(こ)れ異人ならんや、
兄弟匪他  兄弟にして他に匪(あら)ず。

つまり、「我豈狎異人」とくれば、普通は「兄弟与我倶」と続くはずなのに、
曹植はわざわざ「兄弟」を「朋友」に差し替えているのです。

ここに、兄に対する心理的距離感がはっきりと見て取れます。

丁廙は、曹丕が魏王となった年の秋に殺されていますから、
本詩ができた時点で、曹丕の兄弟たちに対する仕打ちは未発ですが、
彼が父の後継者となるため色々と手を回したことは、曹植も知っていたでしょう。

この詩の冒頭に示された大勢の賓客が集う宴とは、
太子となった曹丕が大々的に主催するものであった可能性もあります。

それではまた。

2019年9月13日