先行研究がないなら

こんばんは。

本日ようやく「贈白馬王彪」詩の訳注稿を公開しました。
かつて読んだことがあって、調べたことを記したノートがあるにもかかわらず、
ひどく時間がかかってしまいました。(その理由は措いておいて。)

この詩は、異母弟の曹彪に向けて贈られたものではありますが、
弟との別れを惜しむばかりでなく、
都で急死した兄曹彰への追悼の念も詠じられ、
更には、都にいる兄の曹丕(文帝)への言及も認められ、
詩想の向かうところがやや拡散しているように感じられました。
別の見方をすれば、何か非常に屈折したものを蔵しているように思えます。

それで、先行研究ではどう論じられているか、
中国の論文データベース(CNKI)で検索してみました。
(日本の論文は措いておきます。)

したところが、[主題]を[曹植]とすると、3876件もヒットするのに、
[贈白馬王彪]を[主題]に論じるものはわずかに12件でした。

そして、それらの題目を見る限りでは、作品の内部に入って論じるものより、
後世の詩人や『文選』『三国志』との関係など、作品の外へ向かうものが圧倒的に多く、
作品を論じる場合も、精読というよりは、評価に傾く傾向が顕著です。

中国の研究がこうした傾向を持つことは常々感じていますが、
本作品を中心的に論じたものがこんなに少ないとは、非常に意外に思いました。
(付随的に言及する論文であれば、もっと多数になるでしょうが。)

人がやっていないのなら、自分がやるしかないなと思います。
論となり得る問いが立つかどうかはともかく。

2020年5月5日