先行研究との付き合い方

おはようございます。

元白応酬詩を中心的に取り上げて論じた先行研究は、
論文目録の類を縦覧する限りでは、それほど多くない印象です。

もっとも私は情報収集があまり得意でないので(怠慢なだけとも言えます)、
自分が知らないだけの論文、読み落とし等が多くあるだろうと思います。
至らぬところをご指摘くださるとありがたいです。

この夏、白居易「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」を中心に、
元稹と白居易との気持ちの往来を論じたいと考えていますが、
本格的に論じるならば、いくら不得手でも先行研究を押さえることは必須です。
そこで、『日本における白居易の研究(白居易研究講座第七巻)』(勉誠社、1998年)を手がかりに、
前川幸雄「「八月十五日夜 禁中に独り直し 月に対して元九を憶ふ」とその和篇」(『国語界』18、1975年)を入手しました。

結論から言えば、この論文は自分の読みとはまるで異なるものでした。
もし同じようなことが指摘されていたらどうしよう、と思っていたのでほっとしました。

こんなリスクを負ってまで、なぜ先行研究の調査を先にしないかというと、
文学作品の読みに一番大切なのはそこではないとどこかで思っているからです。
あるいは、先行研究を先に読むと、どうしてもそれに引きずられてしまうからです。
賛同するにせよ、否定するにせよ、従来の論点から自由な問いが浮かび難くなってしまいます。

本当は、古人と対話すればそれで充分なのかもしれません。
ただ、その作品と対話し、なぜだと問い続けた跡を残すことには意味があり、
それをする以上は、その意義を明確に示すため、先行研究の調査は避けて通れません。
作品そのものを読みこんだ後に先行研究に当たるという方法はリスキーですが、
自分にはこのような方法が一番しっくりきます。

2020年8月5日