再び厳島八景と南京八景とについて

厳島八景と南京八景の近しさについて、
これまでに何度か述べたことがあります(直近では、2023年3月17日)。

その際、両者の関連性について、次のような見通しを立てました。
2023年3月16日の雑記に記しています。)

イ)厳島八景の事実上の選定者は、石清水八幡宮の柏村直條である。
ロ)柏村直條は、石清水八幡宮周辺の美景、男山八景(八幡八景)を選定した。
ハ)柏村直條は、男山八景の選定に当たって、
  南京八景(奈良の八景)を念頭においていたのではないか。
ニ)柏村直條は、厳島八景の選定に当たって、
  男山八景とともに、それに影響を与えた南京八景をも想起したのではないか。

以上のうち、イ)ロ)については事実であると明言できます。*
ハ)ニ)については、これまで各八景の題目の類似性から推測するばかりだったのですが、
このたび、それが事実であることを示唆する研究に出会うことができました。

それは、竹内千代子・小西亘・土井三郎三氏による、
『石清水八幡宮『八幡八景』を読む』(昭英社、2023年)です。

この研究成果をご教示くださった柏村直樹先生に、衷心より御礼申し上げます。
柏村直樹先生は、直條の直系のご子孫でいらっしゃいます。

その中に紹介されていた里村昌陸による『八幡八景(男山八景)』序に、

直條は社参の折々、山上山下、名ある所に八の景色を望みて大和(南都八景)、もろこし(瀟湘八景)の例にならひ、これを和歌につらね置れば、後のよ迄の風流、かつは男山の面目ならんと、京にのぼりて有栖川の宮へ申上られしに、……

とあって、
直條が八幡八景を選定する際に、
南都八景と瀟湘八景とを参照したことが明記されています。

この序を記した里村昌陸(1639―1707)は、
柏村直條の妹が嫁いだ里村昌純(1649―1723)の兄に当たります。

すると、その内容は信頼できると判断してよいでしょう。
もしかしたら、直條自身から聞き取ったことなのかもしれません。

この『八幡八景』は、
東京都立中央図書館の加賀文庫に、
正徳六年、昭和九年の写本二種が蔵せられていて、
今週末、それらを閲覧させていただけることになりました。
仮名のくずし字は私には読めないでしょうが、目睹するだけでもという気持ちです。

2023年11月27日

*拙論「悦峰の「厳島八景詩序」と柏村直条」(『宮島学センター年報』第3・4号、2013年)、「「厳島八景」文芸と柏村直條」(県立広島大学宮島学センター編『宮島学』渓水社、2014年)pp.111―130を参照されたい。