前回の訂正
先に検討した出自未詳の李陵詩について、以下のとおり追記訂正します。
「晨風鳴北林」と詠ずる主体は男性であろう、と、
この句が踏まえる『詩経』秦風「晨風」に依拠して先には推定しました。
それは、この句を見たとき、陸機の「擬行行重行行」(『文選』巻三十)にいう、
王鮪懐河岫 王鮪は河岫を懐ひ、
晨風思北林 晨風は北林を思ふ。
をまず想起したからです。(詳細はこちらをごらんください。)
この対句の下の句は、『詩経』解釈の一派、前漢の毛萇の伝にいう、
先君招賢人、賢人往之、駃疾如晨風之飛入北林。
先君は賢人を招き、賢人は之に往き、駃疾なること晨風の北林に飛び入るが如し。
を踏まえると解釈できます。
そして、前掲の李陵詩にいう「晨風鳴北林」は、この陸機詩の句によく似ています。
だから、先の李陵詩の句について、これを詠じているのは男性知識人だろうと考えたのです。
ですが、『詩経』の「晨風」を踏まえるのはこの詩ばかりではありません。
たとえば、曹丕の「又清河作」詩(『玉台新詠』巻2)には、次のような対句が見えています。
願為晨風鳥 願はくは晨風の鳥と為りて、
双飛翔北林 双つながら飛びて北林に翔らんことを。*
これは、かの「晨風」に出る詩語に加えて、
古詩「西北有高楼」(『文選』巻29「古詩十九首」其五)の結び、
願為双鳴鶴 願はくは双鳴鶴と為りて、
奮翅起高飛 翅を奮ひて起ちて高く飛ばんことを。
という対句の発想を織り交ぜて、
女性の立場から、思いを寄せる相手への思慕の情を詠ずるものです。
こうしてみると、『詩経』秦風「晨風」を踏まえると理由だけで、
李陵詩の「晨風鳴北林」は男性の言葉だ、と言い切ることはできなくなります。
そもそも、古詩の流れを汲む魏晋の五言詩歌では、
男性が女性に成り代わって遊戯的に詠ずる閨怨詩は非常に多いですし、
その枠を借りて、男性知識人が君主に向けて自らの思いを表出する作品も少なくありません。
そして、詠ずる主体の不明瞭さは、元来この系統の作品にはよくあることです。
先に述べた李陵詩の分かり難さは、視点の揺らぎにのみ由来するのではない、と考え直しました。
それではまた。
2020年3月2日
*王先謙『詩三家義集疏』巻9には、曹丕のこの詩を『斉詩』(『詩経』テキストの一派。魯詩、韓詩をあわせて三家詩と称する)に依拠するものと指摘する、清朝の陳喬樅の説(王先謙編『清経解続編』巻1141所収『三家詩遺説考』四)を紹介している。この点、拙著p.482の注(31)は追記修正する必要がある。