厳島に遊んだ儒者と仙人

こんばんは。

昨日紹介した平賀周蔵の詩
「夏日陪滄洲先生遊嚴島過飲壺中菴」の中に、
次のような対句が見えていました。

偶随縫掖老  偶〻縫掖の老に随ひて
来伴懸壺仙  来りて懸壺の仙に伴ふ

この「縫掖老」は、詩題にいう「滄洲先生」です。
「縫掖」とは、袖の大きな一重の衣で、儒者の着るもの。*1
そこから、この詩の中で周蔵がお伴をしている赤松滄洲だと知られます。

では、これと対をなす「懸壺仙」とは誰を指すのでしょうか。
「懸壺」は、後漢の費長房が市場で出会った薬売りの老人の逸話に見える語。*2
注目したいのは、壺を懸けたる仙人が、薬売りであるということです。
ということは、その人は、医薬品を扱う、浮世離れした人物なのでしょう。
結論から言えば、これは、笠坊文珉という人物を指すのではないかと考えます。
笠坊文珉は、芸州広島藩の医師であり、平賀周蔵の友人で、
先に見た皆川淇園による『白山集』の序にその名が見えていました。

もしそうだとすると、この詩から、
平賀周蔵は、笠坊文珉とともに、赤松滄洲のお伴をして、
この初夏の嚴島遊覧を楽しんだということが浮かび上がってきます。

なお、赤松滄洲による『白山集』の序の中にも、
それらしき人物が見えてはいるのですが、
未だくずし字が判読できません。

2022年8月10日

*1『礼記』儒行篇に、孔子が若い頃に着ていた「逢掖之衣」について、鄭玄の注に「逢、猶大也。大掖之衣、大袂襌衣也(逢とは、猶ほ大なり。大掖の衣とは、大袂の襌衣なり)」とある。
*2『後漢書』巻82下・方術伝(費長房)に「市中有老翁売薬、懸一壺於肆頭、及市罷、輒跳入壺中(市中に老翁の薬を売る有り、一壺を肆頭に懸け、市の罷はるに及びては、輒ち跳びて壺中に入る)」とある。『蒙求』にも「壺公謫天」として見えている故事。