友情の変質か(承前)

こんばんは。

先に見たように、長慶3年の元稹「寄楽天」白居易「答微之詠懐見寄」との間には、
わずかな言葉のすれ違いが認められます。
うらぶれ老いぼれた身だが、前途はきっと開けると詠ずる元稹に対して、
一方の白居易は、世の中での栄達も困窮も、語るだけの価値がないと言っていたのでした。

更に前に見た、元和14年の白居易「寄微之」にも、
「外物は竟(つひ)に身の底事(なにごと)にか関せん」とありましたが、
それは、自己不遇感に沈んでいるであろう元稹を思い遣り、慰めようとしてのことでした。

ですが、このたびの「答微之詠懐見寄」は異なります。
元稹から寄せられた、官界に対する意欲を内に秘めた詩に対して、
それを軽くいなすかのような、「聚散・窮通は何ぞ道(い)ふに足らん」なのです。

元和14年(819)の元白交往詩と、長慶3年(823)のそれと、
偶然か、それとも詩人たちがそれを意識していたか、奇妙な一致が認められます。
先に相手に詩を送ったのは、前者は白居易、後者は元稹ですが、詩題がともに「寄○○」です。
この詩題はよく用いられるものなので、特に作為はないかもしれません。
ですが、長慶3年の元稹詩に見える「前途」は、元和14年のそれにも見えていました。
この語は、元稹詩には3例認められ、うち2例がこれですから、無作為とは言い難いように思います。
そして白居易は、先には自身から送った詩に、後には元稹からの詩を受けて、
そのいずれにおいても、官界での浮き沈みに一喜一憂することの無意味さを説いています。

長慶3年10月、越州に赴任する元稹が、杭州刺史を務めていた白居易を訪ねてから、
翌年5月、白居易が太子左庶子として洛陽へ赴くまでの数か月間、
元稹と白居易の間には幾篇もの詩がやり取りされました。

けれどもそれは、若い頃のそれとは異質なものとなっていたかもしれません。
たとえば、元和元年(806)の「贈元稹詩」(『白氏文集』巻1、0015)と比べれてみれば、
その落差は歴然としています。

自我従宦遊  故郷を離れての役人生活を始めて、
七年在長安  長安での暮らしはもう七年になろうとしているが、
所得唯元君  得られたのはただ元君という友人のみで、
乃知定交難  そこでしじみじとわかった。友人関係を結ぶのは本当に難しい。
豈無山上苗  家柄のよい山上の苗のごとき人々はいくらでもいるが、
径寸無歳寒  ほんの少しも苦労というものがわかっていない。
豈無要津水  世に出る機会を与えてくれる人々も少なくないけれど、
咫尺有波瀾  ほんのわずかな隙にも、人を転覆させるような波が仕掛けられてくる。
之子異於是  ところが、この人だけはこうした連中とは違っていて、
久処誓不諼  久しく付き合っていても、日頃の言葉を裏切るということがない。
無波古井水  まるで古井戸の水のように波瀾は起こさないし、
有節秋竹竿  秋空に伸びる竹の幹のように、堅い節義を持っている。

先に述べた彼らと、若き文人官僚であったこの頃の二人との間には、
小さくはない隔たりを感じざるを得ません。

2021年1月26日