口頭発表を前に思うこと

八月の終わり、中国河南省の承徳で開催される楽府学会に、
「探討晋楽所奏“清商三調”与“大曲”的関係」と題して口頭発表をします。

『宋書』楽志三所収の「清商三調」と「大曲」とは、
選定者も、選定の時期も異なる二つの歌曲群であることを論証するものです。
「大曲」は、「清商三調」が荀勗によって選定されてから後、
張華によって新たに編成されたものであるというのがその結論です。
はたして、その論拠に妥当性があるでしょうか。

その内容は、断続的にここ何年か考えてきたことなのですが、
原稿を作成するという圧がかかると、それ相当に新しい発見がありました。
人に聞いて理解してもらうためには工夫が必要となります。
そこで、自身の中にもう一人の自身との対話が生まれるからでしょうか。
もっとも、この段階でめぐりあった新しい考えは、
しばらくたゆたっていた時期があればこそ浮かんできたものでしょう。

そしてもうひとつわかったこと。
原稿をネイティブスピーカーの友人に翻訳してもらい、
(外国語による原稿をご自身で書ける人はすごいと思います。)
それを、自分にもわかる平易な言い方に一部変換しながら音読していて、
つくづく、言葉というものは呼吸なのだと体感したことです。

まだ自分に馴染んでいない外国語はふわふわと口先に漂いますが、
その言葉が次第に自身のものとして馴染んでくるにつれ、
それがお腹の底から出てくるようになるのです。

原初的な言葉の起源に触れるような、おもしろい体感です。

2023年7月31日