古い知り合いとの再会

こんばんは。

もう十年以上も前になりますが、厳島神社に伝わる舞楽「蘭陵王」について、
宮島に関する共同研究の一環として、公開講座の報告を書いたことがあります。(こちらの№12)

その際、注の中で次のように述べました。

中国から来日した研究者の中には、本国では夙に滅びた芸能が日本に伝わっていることに感動し、専門的論文「舞楽蘭陵王考」(初出は『東方学報』第10冊 第4分、1941年)、「奈良春日若宮祭的神楽与舞楽」(前掲論文とともに、『白川集』文求堂書店、1943 年所収。初出は『東光』第1巻第1号、1941年)などを著した傅芸子のような人物もいる。

この傅芸子という人物に、思いがけないところで再会しました。

中里見敬「九州大学附属図書館濱文庫所蔵の戯単―濱一衛の北平訪問、観劇活動、戯単収集―」に、*
中国戯曲研究者、濱一衛と関わりのあった人物として、その名が記されていたのです。
特に、その注12には、傅芸子の日本滞在中における研究教育活動について、
次のような内容の詳しい説明がなされています。

「1932年から1942年まで」「東方文化学院京都研究所で日本に伝来した中国古代文物書籍の研究に従事し、あわせて京都帝国大学で中国語を教えた。」
「在学時期から見て、濱一衛は傅芸子の最初の学生であったと思われる。」

(古い知り合いが、実はある分野の大物だったというような感じで、自分の無知が恥ずかしいばかりです。)

当時の情況を重ねてみると、日中間の文化的交流のたしかさに胸が熱くなります。
これを思えば、現代中国の暴走に、日本の中国学研究者が不安がっている場合ではありません。

それはともかく、中里見敬氏の論文は、その注の隅々に至るまで綿密に調べ上げられていて、
しかも、手にしている資料を大切に思う気持ちが、記述の端々に感じられます。
つくづく、これが学術論文というものか、と打ちのめされる思いです。

中国学の分野にはこんなに優れた研究があるぞと胸を張りたくなる一方、
わたしには何ができるのだろうかと心もとなくなりもしますが、
自分は自分なりに精いっぱい励むだけですね。

2021年3月30日

*中里見敬編『中国戯単の世界―「戯単、劇場と20世紀前半の東アジア演劇」学術シンポジウム論文集―(九州大学大学院言語文化研究院FLC叢書)』(花書院、2021年)所収。