古典との格闘
現代の私たちにとって、古典とは何なのだろう。
山種美術館で開催中の、
速水御舟生誕125年記念特別展を見にいき、
このことを想起させられました。
初めは自分の思うように描きたいタイプの画家だったらしい。
ところが、自身の殻を脱ぎ捨てるように、作風を変容させていっている、
そこに大きく関与しているのが、古典と異国である、
ということがたいへん興味深かったのです。
古典的な日本画の技法を、吸収して、
またたくさん捨てて(捨てるものが多いほどよい)、
そうしたこと(呼吸のようですね)を繰り返しながら、
独自の画風を彫り出していったように、私には感じられました。
古典に学ぶというよりは、むしろ古典で自身が磨き上げられたというか。
個性というものを尊重するのが現代なのだとすると、
その個性とは、他者と格闘することなしには現れ出てこないものだ、
その得がたい他者として、古典というものの存在意義もあるだろうと思いました。
文学部ではない国際文化学科というところで古典を教えるものとして、
異文化としての古典、と称して授業を担当したこともある、
そういう自身の立場に引き寄せての感想です。
それではまた。
2019年6月17日