古典的評論からの啓発
曹氏兄弟が創作活動を行った、後漢末の建安年間から魏王朝成立後にかけての時代、
古詩や古楽府(漢代の詠み人知らずの詩歌)を踏まえる詩作は、
当時の詩人であれば誰もが行っていたことです。
だから、いきおい表現は似てくる。
それでも、曹植の文学的力量は群を抜いていたと見てよいのだろうと思います。
漢魏六朝の詩人たちを、上中下に格付けして批評する鍾嶸『詩品』は、
曹植を上品に置き、「粲として今古に溢れ、卓爾として群れず」と高く評価しています。
そして、その詩風の源は『詩経』の国風から派生すると記しているのですが、
このように『詩経』から直接流れ出ると位置づけられているのは、
漢代詠み人知らずの古詩と、この曹植のみです。
他方、同じ『詩品』において、曹丕の詩は中品に置かれ、
李陵の詩に来源し、王粲のスタイルにも影響を受けたものと記されています。
『詩品』上品に、李陵の詩は『楚辞』から、王粲の詩は李陵から派生すると評していますから、
曹丕の詩は、『楚辞』系の優れた作品の亜流のような位置にあると言えるでしょう。
ここに、『詩経』の直系と評された曹植との落差が歴然として見えます。
とはいえ、鍾嶸は今から約千五百年前、六朝末、梁代の人です。
彼は、当世にはびこる軽薄な詩風への反発から『詩品』を執筆したといいます。*
だから、『詩品』の評価を絶対視することはできません。
それでも、今はもう見ることのできない作品にも触れての評価であることは貴重です。
古典的詩評からの啓発を大いに受けながら、
自分なりの方法で、曹植作品の文学的価値を明らかにしたいと思います。
それではまた。
2020年1月20日
*興膳宏『詩品(中国文明選13・文学論集)』(朝日新聞社、1972年)の解題を参照。