因果応報

こんばんは。

昨日の授業の振り返りをしていて気づいたこと。
志怪小説は、学生さんたちの興味を比較的よく引き付けるジャンルですが、
長年定点観測をしていて、小さな変化を今年初めて感じました。
それは、荒唐無稽よりも、因果応報が好きであるらしいということです。

紹介したいくつかの志怪小説のうち、
最も印象に残ったものを選んでその理由を書くということをしてもらったところ、
一番多くの学生が選んだのは、孝行息子で知られる董永の物語(『捜神記』巻1)でした。
自分を身売りして親を葬った董永の借金を、天女が機織りで肩代わりする話です。
選んだ理由の多くは、頑張った人が報われる話だから、でした。

これが私にはけっこうこたえました。
常識的な条理を軽々と超えるところに志怪小説の妙味があると私は思っていたから。
努力の対価をそれほどまでに求めているのかと、少し驚いたのです。

労働の対価だとか、ギブアンドテイクだとか、
そこをないがしろにしてはならない場合はたしかにあります。
そして、そのような発想が生じる時代背景、必然性のようなものも想像できます。
ただ、それとは別の世界もこの世にはたしかに存在していて、
それを味わえるのが小説ではないかと思うのです。

たとえば次の話を美しいと感じた学生に、私はひそかに共感しました。
曹丕『列異伝』(『太平御覧』巻888)所収の物語です。

昔鄱陽郡安楽県有人姓彭、世以捕射為業。児随父入山、父忽蹶然倒地、乃変成白鹿。児悲号追鹿、超然遠逝、遂失所在。児於是終身不捉弓。至孫復学射、忽得一白鹿、乃於鹿角間得道家七星符、并有其祖姓名年月分明、覩之惋悔、乃焼去弧矢。

昔、鄱陽郡安楽県に彭という姓の人がいて、代々狩猟を生業としていた。子が父に従って山に入ったとき、父は突然地面に倒れて、なんと変化して白い鹿となった。子は号泣しながら鹿を追ったが、鹿は軽々と駆けて遠くへ行ってしまい、ついには行方が分からなくなった。子はこれ以降、生涯弓を手にすることはなかった。孫の代になって、再び弓矢を習ったが、あるときたまたま白い鹿を射止めたところ、鹿の角のあたりに道家の七星符と、その祖父の姓名と年月がはっきりと読み取れた。これを見ると悔恨の気持ちに襲われ、とうとう弓矢を焼き捨てた。

2020年7月14日