困難な訳注、楽しい読書

こんにちは。

本日、曹植「名都篇」(05-09)の訳注稿を公開しました。
先の「白馬篇」の公開から、25日もかかってやっとひととおりの完成です。
(もっとも、完成には程遠いものばかりで、だから「訳注稿」です。随時修正していきます。)

訳注は(かつて言ったことがありますが)、
一番、自身の持てるものが露骨に現れる作業です。
場合によっては、一本の論文を書くことよりも困難であり、
また他の研究者への貢献度も、論文より高い場合が多いかもしれません。

そのようなわけで、体力気力が落ちている時にはなかなか困難な作業と感じられます。
けれども、ここで踏ん張っておくと、何より後で自分がそれに助けられます。
だから、時間がかかってもやるべき作業です。

ところで、大学では教員の業績評価というものが行われます。
かつて、『白氏文集』(明治書院、新釈漢文大系)のある冊がやっと完成したとき、
この訳注は、一本の紀要論文よりも点数が低く、愕然としたことがあります。
相対的に、他の分野では、翻訳と注釈にそれほどの労力を要しないのかもしれず、
だから、中国古典文学におけるこの作業の重要性が理解されなかったのだろうと思います。
そもそも多種多彩な分野の学術的業績をひとつの尺度で図ることは不可能でしょう。
かくして、人の評価とは距離を置く、道家的な考え方に一層親近感を覚えるようになりました。

訳注の作業は、できるだけ朝の一番よい時間帯に行うようにしています。
一方、夕方のひととき、読み進めるのを楽しんでいるのが平賀周蔵の漢詩です。
つきつめて語釈をすることは、今は保留して、描写された江戸期の宮島を想い描きます。
楽しむにはちょうどよい距離感です。

2021年4月27日