増井氏による『史通』理解

こんにちは。

劉知幾著・増井経夫訳『史通』が、弊学図書館に入りました。
ずいぶん前に出版された図書ですが、古書で入手することができました。*1

今になって図書館に入れておきたいと思ったのは、
中島敦の伯父、中島竦にまつわる逸話が、*2
その「あとがき」に記されていることを知ったからです。*3

直接のきっかけはそのようなことだったのですが、
やってきた書物を開いてすぐ、その「まえがき」に打ちのめされました。

以下、増井経夫氏の文脈にはやや沿わない切り取り方ですが、
特に心を揺さぶられたところを抜き書きします。

『史通』はあまり多くの読者を吸引してこなかった。
それは、駢文を用いたその文体が後世の人々にはやや難解であったこと、
さらにその内容が理論的であり批判的であったことにもよるだろう。
だが、著者の人間像は強烈に読者に迫るものがある。
この反骨に富んだ史書はまだまだ多くの人たちに呼びかけるものをもっているにちがいない。
耿介の故に多く排斥された劉知幾もまたその故に多くの知己を得ることと思われる。

また、「本書はかつて稿成って戦災に遭い」というくだりのさりげない迫力。

更には、「解説」に示された増井氏の劉知幾史学に対する深い洞察と、
『史通』への理解とともに示される、古典的中国学の方法に対する氏の本質的懐疑。

学問とは本来このように、
研究対象とも、その方法論とも、真摯に自由に対話するものなのだと、
何かとても大きなものに触れて、気づかされました。

2022年7月25日

*1 平凡社から1966年に出版され、後に研文出版から、1981年に第1刷、1985年に第2刷が刊行されている。
*2 増井経夫氏の「あとがき」に、「ああ来なさったか、じゃあやりましょうと、(増井氏から書店を通じて送られていた)小包を開いて書物をとり出されるといきなり朗々と講義を始められた。しかも掌を指すように出典をあげられるところは浦起竜の通釈(1752年刊行『史通通釈』二十巻)よりも鮮かであった。古人が座右に一冊の参考書をおくこともなく、よく著述し、注釈し、解説することのできる生きた姿をそこに見たのであった。そして一年ほど通って全巻を読了すると、先生はただ一言、中々よく書けてますなと、ポツリといわれただけであった」とある。
*3 中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫、1994年第1刷。2009年第23刷)所収の、1985年に書かれた氷上英廣氏による解説によって知り得た。